あなたも物語しませんか。編集学校[破]物語編集術~その9「キャラクター」
ISIS編集学校[破]のカリキュラム「物語編集術」は、物語の五大要素を踏まえて、3000字の短編を書く稽古です。
“シーン”に続いてご紹介する物語の要素その4は“キャラクター”。登場人物や、その際立った特徴、相互の関係を意味します。物語が活きるかどうかは、“キャラクター”の設定次第と言っても過言ではないでしょう。その好例を、明治から大正にかけて活躍した二人の作家の作品でお目にかけましょう。
■哀れが匂う 不条理がたちあがる
『花の咲く頃』田中貢太郎
桜の花も盛りの月の佳い晩、若い侍が家路を辿っていた。微禄で一人暮らしの身には待つ人もなく、若い女に行き会う度、彼は足をとめてその姿を見送った。
切支丹を幽閉処刑する山屋敷の側まで来た時、木陰に蹲るひとりの娘をみつける。聞けば、親に死なれ叔母を頼って江戸に出てきたが、うろ憶えの住所に尋ねる人はなかったという。「軒先でもよろしゅうございますから、今晩だけお泊めくだされますまいか」。きまりわるげに云う娘に侍はおずおずと答えた。「泊めてもよいが、自分は独り身だから」。頬を染めた二人に花が散りかかる。
夜明け、枕を並べた女を起こさぬようそっと起き出した侍は、音をしのばせて水を汲み火を熾し飯を炊いた。その間、彼はずっとにこにこしていた。
陽が高くなっても起き出さぬ女を心配し、夜具をまくってみると血まみれの首ばかりが転がっている。役所へ届け出ると、女は前日山屋敷で処刑された罪人だと知れた。呆然としていた侍は、ふいに「あれ、花が散る、花が散る」と暴れて取り押さえられる。狂うて座敷牢に閉じ込められた後は至っておとなしかったが、春がくる度に、「花が散る、花が散る」と騒いだという。
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土佐に生まれた田中貢太郎は、郷里の言い伝えや中国の古譚を元に、数多くの作品を残しました。彼の描くキャラクターは、悪人までが皆どこかひっそりと不幸で、云いようのない寂しさが作品に漂います。とりわけ哀れなのが、この『花の咲く頃』。若い女を見送る様や、にこにこしながら飯の支度をする仕草の描写に、孤独で倹しい暮らしと、瑞々しい顎の線やほっそりとした背筋までが浮かび上がります。主人公を襲った不幸の不条理が遣り切れなくて、忘れ難い余韻を残す短編です。
■きかん気を通す 一言が際立つ
『わかれ道』樋口一葉
幼い頃角兵衛獅子から拾われた傘屋の小僧吉は、年少ながら腕のよい油引きの職人である。けれど、やっかむ朋輩からは、生国も親も知れぬこと、躰の小さいことをからかわれ、代替わりした若主人からは気の強さをうとまれて、身の置き所がない。心を許せるのは、裏店で仕立職を営むお京だけだ。職の腕を頼りに朋輩を見下し主人に噛み付く吉も、お京にだけは全身で甘える。「お前のやうな人が己の姉さんだったら、首っ玉へ噛り付いてそれぎり往生しても嬉しいだらふ」。
そのお京が質屋の主人の妾になると聞いて、吉はありったけの悪態をつく。「嘘っ吐きの、ごまかしの、慾の深いお前を姉さんと思って居たが口惜しい。もう逢はないよ。どうしてもお前には逢はないよ。長々お世話様。もう誰のことも当てにするものか」。思わず羽交い絞めに止めたお京に吉は涙声で云う。「お京さん、後生だから此肩の手を放しておくんなさい」。
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腕こそ良いけれど、店でも町内でも持て余されている暴れ者の吉。お京に甘える様も心と言葉を叩きつけるように乱暴で、許してもらえることを確かめている感があります。その彼が最後に放った「後生だから」の一言が痛々しい。なけなしの矜持を保ち切れなくなった少年の悲しみが惻々と伝わってきます。
“キャラクター”の設定は、性格や境遇を細々と書きたてることではありません。仕草のかけら言葉の端ででも、彼らの来し方行く末、それを取り巻く物語世界までが表現できます。このおもしろさを、ぜひご一緒に。15期[破]開講は、2007年2月26日です。
(堀江久子/ISIS編集学校師範 ・編集工学研究所)







