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2006年02月25日

順番数寄・その1 ~恒星輪廻図の「をかし」~

 このブログにこと寄せて、自分の「順番感覚」を洗い出そうとしているのですが、あれこれ思い返すうち、僕は小さい頃から「順番好き」な子供だったのかもしれない、と思い当たってきました。

 自分の記憶の発端のほうに、なぜか「恒星の一生」の図があるのです。
 小さい頃は図鑑をながめるのが楽しみだったので、多分宇宙についての図鑑の一ページに載っていた図だったのでしょう。実際には見開き2ページにわたっていたと思いますが。

 左ページ左上のほうに、まず宇宙を漂うもやもやしたガスが描かれ、その中に真珠の小粒のように、白く幼い恒星が一つ生まれ、そこから右下へと向かって数珠をつなぐように恒星の育つさまが描かれていました。直径が増すにつれて星の色味は薄黄から朱へと変わり、図は右ページへと突入し、恒星は紅蓮の炎をまとった赤色巨星へと急速に変容してゆくのです。

 星の成長と自らの質量とのバランスが崩壊すると、終末に至る劇的な展開として大爆発が起きます。再び原初のガスの雲が描かれ、その中で恒星の運命はその質量に応じて三者三様に描かれます。軽い恒星は幼生に戻ったかのような白色矮星として、重いものは重金属の塊のような黒色矮星として、そしてさらに重いものは、爆縮の力が物質存在そのものを支える力を上回った挙句、ただただ重力だけが存在する宇宙の陥穽、ブラック・ホールとして……。これらの末路が右ページの下端に小さめに描かれ、幼い僕に遠い世界の物語の完結を示していました。

(上記記述はあくまで僕の幼時の記憶を取り出しただけのもので、きっと現在の宇宙科学の知見とはずいぶん食い違っているでしょう。爆発を通過せずに矮星へと至る恒星もあるようです。お含みおき下さい)

 つい文章師の腕がうずうずして、文章にいくぶん物語的修飾を施してしまいましたが、図鑑には他の絵も色々あっただろうに、その図だけが今に至るまで強く残っているというのは、幼い頃の僕の「いとをかし」が、その恒星輪廻図の数珠のような時間的連なりのありさまに強く向けられていた、ということだったのでしょう。

2006年02月14日

順番、フォー!!

 いや、別にふざけているわけではないのですよ。たいへん大真面目です。文章と世界との関係について考えよう、というのです。

 レイザーラモンHGという芸人、というかゲイ人がいて、表題のような奇声を発しながら独特のポーズを取るわけですが、ここでちょっと彼のその様子を頭に思い浮かべつつ、以下のことを考えてみて頂きたい。(知らない人はごめんなさい)
 もし彼のことをまったく知らない誰かに、彼がどんなポーズを取っているかを理解させ、同じ動作をさせたいとして、自分がやって見せることもなくましてや映像を見せることもなく、文章だけでその誰かに伝えなければならないとしたら、あなたはどういう文章を書きますか?

               さて。
             どうしますか?

 これはなかなか文章師でも完璧な再現は不可能です。彼は「フォー」という奇声とともにいくつかの手足の動作を同時に行っています。同時に、です。
 実は文章という道具は、この「同時に」という状態をうまく再現できない。

 それでも何とか描写してみますと、彼は足を肩幅ぐらいに開き、局所を強調するように腰を突き出し、両手をやや伸ばした状態で胸前から両横へと大きく開き、指は独特の形にし(詳細失念御免)、それと共に「フォー!!」と叫ぶ。
 ……今あなたが読んだ上記の数行が、実は文章というものの限界です。
 そもそも、ほんの一瞬のうちに起きていることなのに、文章ではこれだけの長さを費やしてしまう。しかもその細長さの中で、どれかを先に、どれかを後に書かなければいけない。まったく同時に起こっていることなのに。

 ――しかし限界を知るということは、特性を知るということでもあります。フェラーリであれポルシェであれランボルギーニであれ、時速三百数十キロまでしか出せない。しかしそこまでは出せるということであって、そこから疾走がはじまる――

 いいたいことは、文章とは一次元のものなんだ、ということです。
 始まりがあって、終わりがあって、一本道。長さはあるけど、幅はない。同時に二つのことは書けない。
 一方で、世の中の物事は「フォー!!」に限らず、つねに多次元です。同時多発的、と言ってもいい。
 一次元でしかない道具でもって、どう世界に取り組むのか。

               さて。
             どうしますか?

 しかし希望はちゃんとあります。それは、人間というのはだいたい誰でもその一次元のものから世界を想起できる、再構成できるということで、そこに文章というものの玄妙があります。
 古池や蛙飛び込む水の音。春の海ひねもすのたりのたりかな。ひさかたの光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ。ちゃんと世界があります。わかります。誰にでも。つまり、読者には想像力がある。あなたには想像力がある。
 その想像力を私は信頼して、文章を書いているのです。

 文章を考えるということの肝要の一つは、あと先を考えることです。「順番」です。
 よき順番というものは、世界を捉えられるだけでなく、世界を変えうるものです。風が吹くから花が散る。そりゃそうだということで、これは物理学の範囲内です。気体分子だの流体力学だの植物細胞の構造だのという世界です。
 しかしもしかしたら花が先かもしれない。花が咲くから風が誘われるのかもしれない。もっといえば、風が散り、花が吹いているかもしれない。そこはもう違う世界です。分子や力学が退場し、「あはれ」や「艶」が登場します。

 順番だけでは世界は包みきれない。しかし不思議なことに、順番が世界を示現することがある。そこが文章という、ひとつしか次元を持ち合わせていない道具の働きどころだと、文章師はそんなふうに考えているのです。

2006年02月02日

文章師 ~よろづ文章拵え仕り候~

「文章師」と名乗ってからもう10年近くになりますが、そう名刺に刷って活動しているのは、まだ日本で僕一人ではないかと思います。今は関西を中心に、主に学術・医療関連の先生方にインタビューし、それを記事や本にまとめる仕事を手がけています。

 日本のそれも関西に限っても、面白い発想や仕事をしている先生方は沢山おられますが、あまり一般向けの文章がお得意でなかったり、そもそも書く時間がなかったりで、せっかくのその発想や仕事が世間に伝わっていないことが多い。実はそこは文章技術に特化したプロが出動すればかなり解決できることで、つまりそれが「文章師」の仕事現場です。

「文章師」という肩書きには、文章を作る優れた職人、技術者でありたいという気概をこめています。百分の一ミリの歯車だとか痛くない注射針だとかを作れる、世界最高の技術を誇る下町の町工場が日本にはいくつかありますが、僕が目指すのはそういう存在です。「文章を作る町工場のオヤジ」でありたいのです。

 このブログではそんな僕の文章町工場のありさまを緯糸に、「順番」というキーワードを経糸に、あれこれの経緯を織りつづってみたいと思っています。文章を読む時も書く時も「順番」の感覚は肝要の一つですが、それはまた継続的・瞬発的取り混ぜた微妙な感覚でもあります。このブログは僕の「順番感覚」を言葉の光で照らす場にもなるでしょう。そんな訳で実は僕自身、僕がここで一体何を書いていくのか大変楽しみなのです。


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