順番数奇・番外 ~お侍と問答~
前回に続いて、脳内遊びをもう一個書いてみます。これは幼少時ではなく、高校~大学ぐらいの時によくやっていました。
(編集学校に入ったら、これと良く似たお題が出てきたので、ちょっと懐かしかったです。)
何かというと脳内に一人「お侍」を呼び出すのです。
べつに何時代とか江戸の何々年間とか限定しなくていい。時代劇に良く出てくるいかにもお侍という感じのお侍、でいいのです。素浪人でもどこかの藩士でもかまわない。必要条件というのは、いかにもお侍らしくしゃべること――つまり我々の日常語とは少し違った言葉を持っていること――と、知的好奇心があって質問を連発してくること、この二つです。
誰でもいいからそういうお侍を彼の時代から無理やりタイムスリップさせて、自分の脳内に呼び出す。そうしておいて外に出ます。
家の中でもやれなくはないのですが、戸外の方がもちろん偶発的なことに出会いやすいわけで、そのへんが絶好なのです。
外へ出ればもちろん現代のさまざまな事物が目に入ります。例えば目の前を自動車がすっと横切る。我々には見慣れた光景です。ところが脳内のお侍にとっては生まれて初めて見るものです。何しろ昔の日本からタイムスリップしてきたんですから。当然、
「あれは何でござるか」
とくる。
あとはだいだい察しがつくかと思いますが。このお侍の素朴な疑問にどこまで答えられるかが、このお遊びの面白味を決めます。
「あれは自動車というものでござる」
「いやはや、目にもとまらぬ速さじゃった。なぜあのように早く走れるのでござるか」
こっちまでお侍口調でしゃべるかどうかはお好み次第ですが、とにかくそうやって問いと答えとで遊んでいくことで、いろんな物事が内包している仕組みとそのつながり具合を順繰りに引き出せるわけです。自動車はもちろんタイヤが駆動力を地面に伝えることで早く走ります。ではその力のみなもとは何か、どこから来るのか。シャフトがあってギヤがあってエンジンがある。エンジンには大抵ピストンがあってがんがん上下している。その上下させているのは何かといえばガソリンか軽油、そしてプラグのスパークです。もちろんもっと細かく噛み砕くこともできますが、そこはやっぱりお侍がついていける範囲内でないといけない。
――ここまで書いてみて自分で気づいたことですが、脳内の異者というのは、文章の明快さにとっては欠かせない存在です。常にその質量なき異者を抱え、時には異者そのものにならなければならない――
上記では自動車を例にしましたが、電車でやるとより「つながり」が意識できるかもしれません。電車にはパンタグラフがあって、つねに上の電線に触れています。そこから電気を取り入れているのですが、その電気は電線を伝わってやってくる。そのみなもとへと辿っていくとまず電車用の変電所に行き、そこから野を越え山を越えして発電所へ行き着く。発電所では水力だの火力だの原子力だので電気を作っています。そのことをお侍のわかりそうな言葉にして説明する。
何がこの遊びの面白味かというと、普段は「自動車」とか「電車」とかいう単語でくくられてしまっている、つまりそこからは思考が展開しすぎないようにある種の鍵がかかっている何ものかを、鍵をちょっと外して扉をあけて見ることで、実は小さくくくられたものの中に膨大な順番が潜んでいることが見えてくる、そこなのです。
「お侍」というのは、いわばその鍵をあけるための触媒です。だからちょっと我々の日常語からは逸脱している必要がある。逆に言えば、上記した二つの条件を満たしてさえいればお侍でなくても、南洋の小島の原住民でもかまわないでしょう。
ただし、その「触媒」の日本語力を低く設定すればするほど、このお遊びは難易度が高くなります。言葉を覚えたての子供にものごとを説明するのはとても難しいというのはそういうことです。
上記のようなことで取り出せる「仕組み」や「つながり」が我々の日常を下支えしていて、しかも普段我々はそのことをほとんど意識していないわけですが、ある不幸なきっかけがその「つながり」を強く意識させることがあります。それは何か巨大な災害がその「つながり」を一瞬にしてずたずたに破壊してしまうような時で、僕の場合それは阪神淡路大震災だったのです。その時のことはまた改めて書くことになるでしょう。






