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●第28夜 八木秋子関連出版物

【注釈:八木秋子】を始めて1年になろうとしています。
「当て推量」で進めてきましたが、ここで第1夜からを眺めてみたいと思います。

★第1夜 八木秋子のプロフィール(1895年~1983年)
★第2夜 毎日新聞などが伝えた訃報(1983年4月30日逝去)
★第3夜 老人ホーム脱走(1977/1/30)から通信発行へ
★第4夜 訃報の注釈
★第5夜 出会いと背景 その壱(偶然の出会い)
★第6夜 出会いと背景 その弐(必然的な出会い)
★第7夜 出会いと背景 その参(ベトコンノート)
★第8夜 出会いと背景 その四(清瀬栄荘「4畳半独居生活」)
★第9夜 出会いと背景 その五(李枝の初外出先は清瀬栄荘)
★第10夜 注釈:八木秋子の周辺の人たち-川柳作家児玉はる-
★第11夜 出会いと背景 その六 (八木秋子の場合)
★第12夜 八木秋子老人ホーム養育院へ(1976年12月10日)

★第13夜 八木秋子個人通信「あるはなく」第1号
   「あるはなく」第1号 発行にあたって
★第14夜 題名「あるはなく」への注釈。
★第15夜 八木秋子は投書がきっかけで新聞記者に
★第16夜 島崎こま子と八木秋子
★第17夜 島崎藤村と八木秋子
★第18夜 清沢洌と八木ふじ
★第19夜 小川未明と八木秋子
★第20夜 小川未明と大杉栄、そして八木秋子
★第21夜 家出前夜
★第22夜 家出
★第23夜 「あるはなく」第1号発行と有島武郎
★第24夜 「あるはなく」第1号発行。その反響
★第25夜 パサージュと侠
★第26夜 注釈:八木秋子の周辺の人たち―川柳作家児玉はる―
★第27夜 わが子との再会 1977/9/20


 このように、並べてみると見えてくるものがあります。まず第一に、「八木秋子との出会いとそれぞれの背景」からこの注釈をはじめるには理由があったということです。

 ふつう、プロフィールとして注目されるものは、八木秋子にとって「女人芸術や婦人戦線」などの女流作家、評論家としての顔であったり、「農村青年社」時代の女性活動家としての姿です。しかし、わたしは評伝のように彼女の生涯にそって時系列的に一つひとつ注釈を加えようとは思いませんでした。というのは、わたしが出会った八木秋子は、都下清瀬市の4畳半に独り住む老人であり、老人ホームに入ることを余儀なくされていた世間的にいえば「ふつう」の人物だったからです。

 「ふつう」の人物である八木秋子が醸し出す格別の雰囲気を察知し、彼女との共同作業の場を作りたいとして始まったのが、八木秋子個人通信「あるはなく」でした。ですから、その出会いは偶然とはいえ、それぞれにとっては事情(背景)があり、必然化していったと言えます。だから当然この注釈も、「あるはなく」の発行が主人公となって進んできました。
 ついでに言い添えますと、その個人通信の内容にも優先順位があります。まず「本人が執筆したもの」「本人が話すことを聴き書きしたもの」「かつて書いたもの」。通信に掲載するにはこの順番を間違えてはならない、それに尽きました。それが、八木秋子の尊厳を踏みにじらないことだ、と考えていました。

 続いて、第13夜から第23夜までは「あるはなく」第1号についての注釈が続いています。第1号で触れている「なぜ子どもを置いて家を出たか」について、八木秋子がそのころに出会った小川未明、有島武郎、そして島崎藤村や八木フジ(清沢洌)、大杉栄などからの、直接・間接的影響があったという注釈を加えました。その際、予想していたことより遙かに強く実感したことがありました。
 わたしは大正という時代、とりわけ1915年(大正4)~1923年(大正11)、八木秋子が結婚して子どもを産み、健一郎をおいて家を出るころ、時代に大きな裂け目が見えたような気がしています。大きな時代であった明治が終わり、欧化思想一辺倒で覆われていた蓋がはずされ、垣間見えた「景色」があるように思えます。その後の軍部・マルキシズムの昭和にはまた再び、力によって押さえつけられていった世界、その世界が大正の真ん中の数年間に噴き出したように思えるのです。八木秋子が出会った人物それぞれが時代と格闘してわれわれに見せているのは、その「景色」ではないかと実感しました。それが何よりの収穫でした。

 第24夜は、第1号の読者の反響を、第25夜はわたしの関わりをまとめてみました。八木秋子はその手応えに力を得て、第27夜に「わが子との再会」を一気に書きあげました。そして、第28夜ですが、実は、1977年9月23日にわたしの家に来て泊まった際に録音した「八木秋子と相京の対話」を再掲載しようと準備をしていました。第1号の反響に応えて第2号を1ヶ月もおかずに発行した、まさに勢いに乗っている時の会話で、いま考えても一番熱気に溢れていた、渦中にいた瞬間だったからです。

 しかし、ここでふと考えました。
 これからもこの「注釈:八木秋子」を多様多層に編集していく予定です。たとえば、かつて活字にしたものを「注釈」として再掲載したり引用することが、多くなるだろうと予測されます。そのためには、今回まず、わたしが関わった八木秋子に関連した出版物をまとめておく必要があるのではないかと思ったのです。

 では、なぜその時点で一つひとつまとめなかったのか、と言われるかも知れません。それには理由がありました。

 というのは、その時点で、ここでいえば、1977年秋での対話ですから、その時に発表されるべきだったのです。しかし、実際はその10年後、1987年に冊子「パシナ」に掲載しました。それはなぜか。上述したように、「すべては八木秋子のため」に「あるはなく」の発行が進められたからです。通信の発行は彼女の肉声が伝わることをいつも優先し、その許されている肉体的時間と競争しながら、先に先に進めていったからでした。

 ですから、そういったものは仮留めしておき、いつか時機を得て発表すればいい、いつも通過点なんだという感覚でやり過ごし、時間が経ってからまとめたものがいくつかありました。著作集についても、いつも「あるはなく」の発行や八木秋子の肉体・精神状況が優先していました。最初から著作集の発行を計画していたのではなかったのです。

 そのように仮留めしてきた諸々の破片が、いつかは八木秋子の全体像として、それぞれが「ムスビ」つけられることを望んでいました、その時機を待っていたのです。
 
 では、第28夜は、時機を待っていた破片の一覧をあげておきます。
 
 *わたしがたいてい編集・発行/自主出版したものの一覧です(『著作集』はJCA出版に委託販売、『農村青年社事件・資料集』は黒色戦線社でも販売)。
 
★八木秋子個人通信「あるはなく」
第1号(1977年8月~第15号(1980年7月)
休刊号(1982年7月) 馬頭星雲号(追悼号:1983年5月)

★八木秋子著作集全3巻
Ⅰ:近代の<負>を背負う女(1978):戦前の著作が中心。
Ⅱ:夢の落ち葉を(1978)子ども時代に見た木曽の風物を作品化。
Ⅲ:異境への往還から(1981)満州引き揚げ後の戦後の作品、日記。

★パシナ(八木秋子の没後に発行したもの)
パシナⅠ(1984秋) パシナⅡ(1985春) パシナⅢ(1985秋) パシナⅣ(1986秋) パシナⅤ(1987秋) パシナⅥ(1998秋)  


■パシナ一覧(パシナとは満鉄「あじあ号」の機関車パシナに由来したもの)

◆パシナⅠ 1984秋
母と子の不思議な牽引 相京範昭
人との出会いは途中下車 
 ‐八木秋子への手紙- 相京範昭
胸さわぎ 西川祐子

◆パシナⅡ 1985春
「背なでて犬の不安を知ってやり」 
 ‐児玉はるさんの話- 相京範昭
永嶋暢子について 岩織政美
天に花咲く 犬塚せつ子
山間の村を離れて 田中久子
死ねば死にきり 
 ‐追悼橋本義春さん‐ 相京範昭
一九六七年十月八日 八木秋子
鮮やかなフイルム 西川祐子
 秩父、青雲寺 枝垂れ桜  鎌倉、建長寺 柏槇 
 信州、小野 枝垂れ栗

◆パシナⅢ 1985秋
あるがままと〈負>
 ‐八木秋子の「子捨て」をめぐって‐ 相京範昭
「この人の句は彫刻だよ」児玉はる(聞き書き) 相京範昭
山の彼方、中央の雲行きを案じて
 ー開拓農民としてー 別所孝三
集団に働く性急な求心力 田中久子
八木秋子からの手紙 西川祐子

◆パシナⅣ 1986秋
色のない風景 犬塚せつ子
「うしろ手に閉める障子も秋のもの」児玉はる(聞き書き) 相京範昭
成就院から 光田全璃子
江口きちへの想い しのだ・もりの
和子さんへ 相京香代子
岡本文弥の新内「十三夜」 西川祐子
「案外変わらないね」
「幾星霜というところかね」
    永嶋暢子 八木秋子 注釈 相京範昭
 多摩川大遡行

◆パシナⅤ 1987秋
「上布まとう存在というかろきもの」 児玉はる(聞き書き) 相京範昭
大沢池石仏群 相京範昭
一九七七年九月二三日 八木秋子・相京範昭 
五十年前の戦争 西川祐子
静子さんへ 相京香代子
桜島山 真辺致一
九天のかなたヘ 光田全璃子
パ・パ・パシナの酔客 石井誠
酔談放談:岩織さんを囲んで

◆パシナⅥ 1998秋
済州島 サングンブリ噴火口 相京範昭
吉野幻像 犬塚せつ子
「窓をすぎる鳥のゆくへのたしかさや」 児玉はる(聞き書き) 相京範昭
「はるさん」のおくりもの 瀬戸和子
好きな馬の話をしよう 小郷永顕
『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員会会報
特別付録『忘れ得ぬ事ども』に抗議する 相京範昭
三里塚 矢島芳子
「八木秋子日記」を読む途中で一記憶と叙述一 西川祐子


★農村青年社事件・資料集
Ⅰ:農村青年社運動史・記録(1991、210P)
Ⅱ:農村青年社運動史・記録(1991、348P)
Ⅲ:農村青年社に関する論評、官庁・新聞社・その他資料(1994、458P)

別冊・付録‐追憶・交叉する眼差し‐(1997、110P) 
【その内容】
はじめに 相京範昭
一九八六年九月、二〇日間にわたる行脚 星野凖二
鈴木靖之アナキズム論集解説.まえがき 星野凖二
『自由人』創刊号
鐵窓 鈴木靖之
畏友YSに 和佐田芳雄
薪の火を焚く 八木秋子
同志星野準二君の一周忌に寄せて 南沢袈裟松
農村青年社の人々を偲んで 別所孝三
一九八六年五月、伊勢迫間浦 
呼び交わす手 光田全璃子 
「ものがたり」は再生する 相京範昭
資料集への推薦文
ユニークな歴史叙述の作品 西川祐子
例をみない豊富な資料 小松隆二


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