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●第43夜 アナキスト・八木秋子のこと 朝日新聞1978/6/26

★アナキスト・八木秋子のこと -著作集Ⅰを中心に-

☆鮮烈な魂の軌跡-農村コムミュンを夢見て-
                      
昭和初期に、農村コムミュンの理想をかかげて活動したアナキスト・八木秋子は、今日、ほとんど忘れられた存在となっている。最近出た彼女の著作集Ⅰ「近代の<負>を背負う女」(JCA出版・1300円)が、一部の人々の熱い関心と、大方の無関心のはざまに置かれているのも、無理からぬことといえようか。

◇発言に新鮮さ

 戦前、治安維持法によって2年6ヶ月の刑をうけた彼女は、敗戦の「満州」から引き揚げた時、はなばなしく戦後社会に復帰する道をとらなかった。母子寮の寮母や地道な地域活動の中へ自分を埋めた裏には、ソ連兵の乱暴にあって自殺したマルキストの友・永嶋暢子の悲劇がかくれている。そしていま、東京都立療育院の雑居の部屋に、83歳の日々を過ごす。その彼女の、戦前からの作品をひろい集め、著作集をまとめあげたのは、彼女の若き友・相京(あいきょう)範昭氏である。同氏は、八木秋子の未発表原稿を主とした通信「あるはなく」をも発行している。

 高群逸枝の資料を求めて、「女人芸術」や「婦人戦線」を読み始めた数年前、私は八木秋子の名さえ知らなかった。だが逸枝の活動を手繰れば、論客・秋子の堂々たる風姿が、いやでも目についた。とりわけ座談会での彼女の発言には、きらめくような新鮮さがあって、八木秋子へと牽引されてゆく自分を、私はたえず意識するようになった。秋山清氏の「己の足跡を消しつつ生きる昭和のアナキスト・八木秋子」(「婦人公論」1972年5月)を、そのころよみ、彼女への傾倒を決定的にさせられもした。

 本書は、彼女の既発表作品のほとんどすべて、38篇を収める。1922年2月の「種蒔く人」にのった「婦人の開放」から、1976年9月の「マルキスト永嶋暢子との思い出」(「高群逸枝と「婦人戦線」の人々」所収)まで。その大部分が1928-30年の2年足らずの期間に、「女人芸術」と「婦人戦線」にかかれている。「公開状―藤森成吉へ、曇り日の独白」は「女人芸術」での有名なアナ・ボル論争の発火点となったものだし、つづく「簡単な質問(藤森成吉へ)」「凡人の抗議」「隅田氏の妄論を駁す」は、高群逸枝らと共に、この論争の一翼を担った記念である。また「1921年の婦人労働祭」(「黒色戦線」1929年12月)、「ウクライナ・コムミュン―ネストル・マフノの無政府主義運動―」(「婦人戦線」1930年3月・4月)は、アナキスト文芸の代表作とされている。

◇実践へ投じる

 その最初の作品で秋子はいう。「周囲のすべてより反逆者と罵られつつもなお且人類としての正しき意思に生きんがために、赤裸裸なる一人の自己を地上に立たしめて、大声に戦を発し得る勇気ある婦人が幾人あるであろうか」。本書を通読して打たれるのは、彼女が、まさにその言葉どおりに生きたという事実である。また「婦人戦線」の調査欄に書いた「日本資本主義の鳥瞰」(1930年3月)、「資本主義と労働婦人」(同年5月)では、国際間の経済競争の動向と日本国内の女工の実態、その大量失業や繭価の変動による農村の困窮を鋭く指摘した。そして指摘に止まらなかったところに、彼女の真価がある。

 そのころ秋子は文筆活動から実践活動に移り、故郷長野県の農村に入って、農民の自発的民衆運動によるコムミュンの結成をめざし、「農村青年社」の活動へと進んだ。座談会や講演会での彼女が、農村の老若男女をいかにひきつけ、説得力を発揮したか。当時の彼女にふれた人々の間では、いまに語り草となっている。養育院の青葉の下で秋子も「農村の同志はすばらしかった」と、その時代を回想した。コムミュンの夢を語る時、厳しいシワを刻んだ顔がはつらつと輝く。その理想にもっとも近いものの実現として、中国の人民公社に親近感をよせる。一方、都市の活動では、彼女の才分は生かされなかったらしい。男性の同志は、彼女に飯炊き・見張りの役を割り当てた。「それが男の伝統だ。女自身の組織をもたなければだめだ」と彼女は力説する。

◇どう継承する

 戦前の女性誌に筆陣をつらねた高群逸枝と八木秋子。一人は30年間の女性史研究に自己を閉じ込め、古きものの探求によって未来を啓示した。一人は実践の場へと自己を駆り、過去いっさいを果敢に振り捨てつつ生きぬいた。逸枝の業績は偉大だが、秋子が身をもって描いた鮮烈な軌跡もまた、心を魅(ひ)きつけてやまない。本書の刊行を第一歩として、その軌跡をあますところなく文字に定着するためには、より多くの人々の助力が必要とされよう。「長い過去の道程を、闘いを、失敗だの敗北だのとは思わない」と、あとがきに彼女はいう。だが彼女のめざしたものはみな、いまだ実現をみない。それが表題にいう「近代の<負>」とすれば、その「人類としての正しき意思」は、継承によってのみ、私達の社会に「正」として蘇(よみが)えりうるのだから。   堀場清子 (詩人)

堀場 清子
1930年広島県生まれ。早稲田大学文学部卒業。詩誌『いしゅたる』主宰。著書に『わが高群逸枝』(橋本憲三と共著) 『青鞜の時代』『禁じられた原爆体験』など。


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『女たち 創造者たち』1986 未来社 にはこの文章とともに、追悼の八木秋子として「光芒の一季節」が入っています。

『女たち 創造者たち』新聞の書評:
・門外不出30年、日本はじめての女性史を世に問うた高群逸枝。与謝野晶子に見いだされ戦中・戦後つねに時代の先頭を歩んだ情熱詩人深尾須磨子。「あらゆる君主すてる旅」を模索した茨木のり子。戦前農村コミューンを夢見て活躍したが、戦後は脚光を浴びることを拒否続けた八木秋子など、内外の創造的役割をはたした女性たちをとりあげたエッセー集。詩人特有の鋭く多彩な感性で、先駆者たちの側面を深く掘り下げている。


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