あらゆる物語は「進ませる力」と「止める力」の二つが作用しています。そして、これを使いこなすと、あらゆる物語を自由に止めたり、引き延ばしたりすることができるようになります。
●全ての存在には固有のシナリオがある
まず最初に「全ての存在は固有のシナリオを背負っている」ということを理解して下さい。
あらゆる存在には必ず「履歴・現状・未来」がワンセットになって取り憑いています。こんなことは当たり前だ、とお思いになるかもしれませんが、人間、そこを忘れやすい・・・いや、忘れるようにできている、と言った方が適切でしょう。
ここに、パン屋のロコちゃん、お米屋のマコちゃん、うどん屋のトコちゃんという3人娘が居るとしませう。
当然、3人にはそれぞれに過去と現状と未来、つまり「個人のシナリオ」がある。
ただし、ここで言う「未来」は、あくまで「こうされたい、こうなりたい、あるいはそうあらねばならないと決められている」未来です。本当にそうなるかどうかわからないから「未来」なのです。
つまり「過去の履歴、その結果としての現状」があって「その先に展開されるであろう未来」がある、というのがそれぞれ個人のシナリオなのです。過去と現状はセットになっており、未来は「過去+現状」を前提とした話。
この「個人のシナリオ」がそのまま演じられればそれは「個人の物語」となります。しかし、シナリオの「未来」は裏切られることが多いので、物語とイコールになることはなかなかありません。
「3人娘」というひとくくりの中にもシナリオがあります。当然です。過去と現状と未来があるもの(すなわち森羅万象)はすべからくシナリオを持っているからです。
従って「3人は小学校からの仲良しで、明日の同窓会があるので、何を来手ゆくか相談している」シナリオもあれば「3人は全く見ず知らずであり、現在も全くかかわることがなく、未来永劫何かで一緒になる可能性はない」というシナリオもあり得ます。
仮に三人娘が駅前の喫茶店「フウカ堂」で雑談をしていたとします。当然この喫茶店にもシナリオがあります。「昭和32年に開店。89歳の店長が未だにカウンターに立っている。いずれ店長の引退とともに店は閉店する」とか「昨日できたばかりの店で、ほとんど知られていないが、ケーキの種類が多いのでこれから流行るだろう」とか、勝手なシナリオがあるわけです。
あ、もちろんこの「街」にも、喫茶店の前にある「駅」にもシナリオがあります。喫茶店の中を見回せば、カップにも照明器具にも砂糖壷にもシナリオがあります。
さらに、そこにある存在同士の組み合せにもシナリオがあります。「喫茶店ではロコちゃんちからパンを仕入れている」「この辺一帯の飲食店はマコちゃんちのお米屋さんと取引がある」「この店の主人はトコちゃんちのうどん屋の常連である」なんてところからはじまって、「ロコちゃんとカップ」の関係、「駅とマコちゃん」のつながり、「89歳店長とトコちゃん」の友情、など、ありとあらゆるシナリオがある。また、さらにそれが重なって「同窓会と照明器具と駅」のシナリオもある。そうです! シナリオは無限に存在します。あらゆる存在にはシナリオが存在する、というのはこういう事なのです。
ところが、人間はよくできたもので、全部のシナリオを把握することはできない。さらに言えば、すべての存在にシナリオがあることさえ「すぐに忘れることができる」ようになっているのです。そうでなければ、あふれかえるシナリオの渦で人間の頭はパンクします。
●シナリオ間の衝突があらたなシナリオと物語を生む
さて、当然一本のシナリオが演じられれば、当然それはひとつのドラマになるわけですが、お気づきの通り、あらゆるシナリオは独立して運行できないのです。あらゆるシナリオは密度の高いハイパーリンクでつながりあっているので、一つのシナリオが運行される時、他のシナリオも同時に運行されます。ま、これを通常「世界」と呼び「世界はつながっている」と言うのですけどね。
あるシナリオが別のシナリオの未来を妨害している。ああ、これはまさにドラマの始まりです。3人娘がもし別々の機会に共通の男性と出合い、恋をしてしまったとしたら、当然、互いのシナリオが衝突します。
これがドラマの始まりなのです。いわば「3人の恋のさやあて」に関するシナリオが設定されたということになるでしょう。このシナリオには、3人の個別のシナリオに加え、男性と3人それぞれの「一対一のシナリオ」も絡みます。
もし誰か一人だけが男性からネックレスを貰っていたとしたら、その持ち主とネックレスのシナリオ、男性とネックレスのシナリオ、男性と持ち主とネックレスのシナリオ・・・も存在します。
はい、またもや「すべての存在にはシナリオが存在する」という話になります。
●気になる範囲の未来を描く
さて、これで世界が無数の存在と無数のシナリオで構築されていることがお分かりになったでしょう。問題は「全ての存在にとって過去は全て解決されているが、未来は何も解決されていない」ということです。過去にシナリオが衝突した結果が現状ですから、現状は「受け入れるべき正解」としなければならないのです。好むと好まざるとに関係なく。
モノガタリゼーションは未解決の「未来」をいじる作業です。
結論からいえば「複数シナリオ間に衝突が起きれば物語は動き始め、その衝突を解決すれば物語は終わる」というだけのことです。
ところが、シナリオは無数にあり、それがすべて関連しているのですから、本当に解決することはできないのです。
しかし、幸い、人間は全てのシナリオを把握することはできないし、全てにシナリオがあることも忘れてくれる。つまり「気になる範囲のシナリオに関して、衝突が解決されれば、物語は終わる」ということですね。
ですから「物語を終えよう」と思ったら、物語の推進力になっている個別シナリオの衝突を解決すればいいわけですし(圧倒的勝利とか、そういう無理矢理な解決も含めます)、まだまだ物語を続けたければ、解決しないようにゴネればいいのです。また、一度解決した衝突も、別の固有のシナリオをもってきて「まだ未解決の問題があった!」と提示すれば、再燃します。長寿ドラマの秘訣はここにあります。範囲を伏せたり拡げたりする効果はここにあるのです。
●物語は『綴じ』から始まる
これは以前、作家・小松左京さんから伺った話なのですが、物語は「利害関係が綴じられた時からはじまる」のだそうです。たとえば今年再映画かされる「日本沈没」は「共通の祖国を失ってしまう」という利害の共有(綴じ)が物語の原点であり、それは古来人類が持っている「喪失の物語(例:ユダヤ人の故郷喪失など)」でもある、と解かれています。
つまり「どの範囲の衝突(=体験の共有)に光をあてるか」が、モノガタリゼーションの肝要だということです。
たとえば3人娘がそれぞれ共通の男性に関して抱く各々のシナリオに限定すれば、それは恋をめぐる活発なガールズトークになるでしょう。誰か2人が折れれば(あるいは3人が完全に決裂したり、男性が死んだりすれば)物語は終わりますし、そうならなければ物語は永遠に続く。もし終わってしまっても新たな固有のシナリオ・・・たとえば恋心の再燃、男性が出さずに残したラブレター、その男性の本当の恋人・・・を加えて「綴じれば」また物語は動き始めます。
つまり、物語を進めたり止めたりするのが自由自在だ、というのはこういうことなのです。
●では、日常生活でこれをどう運用するか
さて、物語作家になるならまだしも、この仕組みをどう現実の生活に活かしましょうか。そうです、この手がありました。
人間は嘘をつくことができます。つまり「過去」を描き替えれば、固有のシナリオはいくらでも書き換えられるのです。過去を書き換えずに未来だけ作り替えようと思ってもそれはムリです。最近のテレビドラマではそんな演技ばかりですけどね。
逆にいえば、自分の中で過去を書き換える・・・別の過去を持ってきて、その中を生きてきたと自分に言い聞かせて・・・たったそれだけのことで、あなたは自分の未来を書き換えられます。もちろん書き戻すこともできるわけです。
別に詐欺をはたらこうというわけではない。
それがいわゆる「なりきり」の極意です。演技派俳優の真骨頂です。
もしあなたが、誰かにとって影響力のある存在になりたいと思ったら、まずは、朝起きた時から自分の過去を書き換え、それにあわせてあなた固有のシナリオを書き換えてみましょう。
ただ、すべてのシナリオはつながっていますから、ちょっと過去の記憶を書き換えてもすぐに元に戻されます。現実の力はゴーインです。だから、書き換えたシナリオを補強する作業をおこないます。それはいつもと違う服、いつもと違う香水、いつもと違う食事・・・そんなレベルから、いつもと違う口癖、いつもと違う考え方、そんなレベルまでどうにでもなります。
ピアニストの内田光子さんは永年ヨーロッパに在住のまま演奏活動を続けていますが、彼女は以前「みそ汁を食べた身体でモーツァルトを弾くのは不自然ではないか」という内容の事を言っていました。もちろんみそ汁を飲みながら欧州の神髄に至った指揮者の朝比奈隆さんのような例もあるわけですから全てが内田さんの言う通りではないと思うのですが、大事なのは内田さんが「森羅万象に固有のシナリオがある」ことに非常に敏感である、ということです。むしろそのシステムを積極的に利用して「欧州に身をひたすことで、自分のシナリオをより高度に書き換える」事を試みているのではないかと思うのです。
さて、仕事ばかりではありません。たとえば誰かとちょっと高い食事に出かけるような時は、このシステムを利用しようではありませんか。着る服、大好きな言葉、耳にする音楽、読む本・・・前日からちょっとシナリオを書き換えてみてください。きっと「別の味」がするでしょう。本来の自分の舌も働いていますから、文字通り「二枚舌」で料理を味わうことができます。
自分に対して嘘をつくことを恐れてはなりません。より確信的、より技巧的に嘘をつくべきです。どうついたって、自分の心の中に嘘をついたという足跡を残さないなんて無理ですから、必ず嘘は解除することができます。でも、生涯美しい嘘をつき続けることも、素晴らしい事です。その嘘が誰かにとっての真実を構成してしまえば、ね。
最近ドキュメンタリー映画になったようですが、終戦から近年までずっと現役をつらぬき通した横浜の有名な娼婦「メリーさん」(近年、故郷で没したとの由)にとって、娼婦の姿が本当のシナリオなのか、その白塗りに隠れた真顔が本当のシナリオの主なのか。それはメリーさんが決めればいいことなのだ、と言う訳です。故郷の親戚が娼婦であるということを受け入れられなかった、ということもひとつの固有のシナリオです。
最後に。
泣きそうな気分になったら、寝る前に、できるだけ大きな鏡の前に座って、さも一日が満足だったような顔をして、大きなスマイルを作ってください。そして、より大きなスマイルになるよう、その日一日の記憶を少しづつ書き換えてみて下さい。
本当につらい時は、こんな方法もあるのです。