【第二回】 劇化の心得
●「笑うから楽しい」人は幸せになれる
「楽しいから笑うんじゃない。笑うから楽しいんだ」
戦後沖縄芸能の中興の祖・照屋林助さんの言葉であります。
はっきり申しましょう。「笑うから楽しい」人は「楽しいから笑う」人より幸せにはなれます。逆にいえば「楽しいから笑う人は、笑うから楽しい人より幸せにはなれない」というコトです。モノゴトは言い方一つで軽くも重くも響きますね。まあ、「楽しいから笑う」人は、不幸な人生とまではいいませんが、きっと幸せを沢山食べ残して死んでゆくんだと思います。まあ、勿体ないと思わなければソレハソレデイインデスガ。
劇化の恩恵を得ることは「楽しいから笑う」タイプの人にはムリです。なぜなら、劇化とは、まず自分を投げ出さなければならないからです。「気分がのったから劇化した」なんてのは劇化でもなんでもない。それは状況にダマされているだけのことです。そういう人がサギにひっかかる、といっても過言ではない。
現在のあなたは、過去のあなたの集大成です。「所詮、過去の集成でしかない」と言う言い方のほうがいいでしょうか。どんなに自慢したって、今の「あなた」はもう再現できないのです。今日のあなたはもう「ピーク」なのです。そんなものにしがみついていたら、それこそ、売り損なって暴落に巻き込まれた株主みたいな目に遭ってしまいます。ですから、自己に投資しましょう。自己の未来に、です。しかも、おカネではなく「智慧」を投資しましょう。
なんだかインチキ宗教家の演説みたいになってきましたが(笑)、わたしはこれを書いている瞬間、インチキ宗教家の気分になって筆をすすめています。もちろん、書き終わってから非インチキ宗教家になって(なんだか「非姉歯物件」みたいな言い方だ)修正はするんですが。
●今の自分は既に自分ではない
一瞬先の自分を「作る」こと、それが大事です。「自然な自分の姿」なんてのは「使い古しの過去の自分」でしかないわけです。もちろん、お古だから柔らかくて着心地はいいでしょう。体型にもフィットして。それ、その心地よさは認めます。疲れている時にはそういうビバークは必要だと思います。でも、そこに安住している人の言葉には夢中にさせるものがない。
もし、あなたの言葉で人を夢中にさせたかったら、まず現在の自分とオサラバすること(いや、本当は既にオサラバしているはずなのに未練の糸が切れないでいるだけのこと)。そして1秒おきにオサラバし続けることです。言うこと、考えることがどんどん変わってったって構いません。それで失うものがあるとすれば、あなたは既に「過去の人」だったのです。
ただ「過去の人」は捨てたもんじゃないのですよ。案外、殿堂入りのチャンスかもしれませんからそれはそれで「未来の自分」に見切りをつけるチャンスかもしれません。大事に見極めましょう。あ、なんだかひと昔前の株式コンサルタントみたいになってますね。私。
さて、現在の自分とオサラバする方法。それは劇化・・・モノガタライゼーションです。
自分を劇化することは自分を欺くこと、誤摩化すこととは何ら関係ありません。むしろ劇化を拒否する心の中に「より強いごまかし」があると、私は、思っています。
●自分をモノガタライズするには
「1秒おきにオサラバし続け」よ、と言いました。そして「言うこと、考えることがどんどん変わって」いい、とも言いました。しかし、当然それでは出来ない事があります。たとえば一定期間研究を続けるとか、誰かと電車の中でしばらく過ごすとか、コロコロ変わると不都合な場合もあります。そんな時のためにこそ自分をモノガタライズしてください。
自分をモノガタライズするということは、簡単にいえば「なりきる」ということです。「それはキャラクタライズではないか?」という突っ込みが聴こえそうですが、それは不勉強です。なぜならシチュエーションから切り離されたキャラクターなんてものは存在しないから、なのです。
日記を書く時、ちょっと「漱石」になりきって書いてみましょう。その時に大事なのは「『我が輩は猫である』を書いた時の漱石」になるか「修善寺で吐血した翌日の漱石」になるか、です。漱石という人物より漱石が置かれたシチュエーションのほうが重要です。言い方を変えれば「キャラクターを着ること」より「シチュエーションを着ること」のほうが大事だ、ということです。
●口調はシチュエーションの反映
落語の世界ではキャラクターによる声色の使い分けは「七色声」と言って、あまり良い事とはされていないようです。むしろシチュエーションによる口調の使い分けのほうが重視されるようです。熊さんも八っつぁんもご隠居もほとんど声色を替えずに喋っているのにちゃんと区別がつくのは、それぞれの人々が負ったシチュエーションと、登場人物が共有するシチュエーションとの間にうまれる「その時どきの口調」を演じているからなのです。
落語では、たとえばご隠居と八五郎の会話をするシーンがあるとして、ご隠居らしさ、八五郎(大工)らしさというものをあまりちゃんと描くと、2人のギャップばかりが目立ってしまいます。まあ、ギャップを問題にした噺ならそれでもいいのでしょうが、もし、2人が仲良く世間話をしているというシチュエーションを描くとするならば、2人の「それぞれの背景に根ざした口調」以上に2人が「共有するシチュエーションに根ざした」口調を演じるべきです。何やら似たような口調になってきます。
ご自分に置き換えてください。もしあなたが自分の喋り方の癖をよく知っていて、その喋り方にこだわっているとしたら、それはもうやめましょう。そんなものに価値はない。むしろ、その場、その場で、目の前にいる人の口調を少し頂いて、キャラクターの殻を溶かしましょう。いわば「自分のキャラを破れ」ということです。また、一人で文書を書くような時には誰かになりきりましょう。それも誰かの「極限状態」をこそ、着るべきです。
そうやって他人を着て毎日を過ごし、ちょっと疲れてきたあたりから、はじめて「あなた」が出てくるのです。そんなあなたに、人は最大の信頼と愛情を寄せることでしょう。悪人でも愛されるひとがいる、というのは、そのためなのです。






