【新1回】街と劇化
さて「劇化」ということについて、もっと切実に考えてみようではないか。
「編集」とは「情報の回路を作る」ことに他ならない。なかでも「劇化」は「劇的」に回路を展開するために、パーツの役割を明確に際立たせ「その世界」から情報を積極的に出し入れすることに重点を置いた「編集の中の編集」である。
ここ数年、友人が住んでいる関係で谷中・千駄木界隈に遊ぶことが多いのだが、台東・文京・荒川の3区にまたがったこのアルザス地方のような一郭は、まことに「劇化」のお手本のような地域である。
ここには、観光化される以前の古い住民と、観光化されて以降の新しい住民とがいる。「観光化」といっても何か大きな資本が投下されたわけではなく、この地域に古くからあった「暮らし」を再評価して、そこから大量に情報を発信していった人々である。
情報の発信もさまざまである。「谷根千」を題材にした雑誌、小冊子は有名である。それは単にコミュニティの動向を伝えるだけでなく、まさに、琉球エアコミューター(昔の南西航空)の機内誌なみに、その根底を分析・披露する内容の濃さ、研究密度の高さがある。毎号が「永久保存版」になるような冊子ばかり。
また、ここはファッションや小物の商売も盛んである。もともと古い屋敷街の近くにあったこともあり骨董屋が多かったようなのだが、今では伝統的な骨董屋よりも「店主の再評価」で光が当てられた中古品を商う店のほうが賑わっている(単価は安いのだが)。中古だけではない。あちこちで少量生産されているものを見つけてきては売っている。仕事はまさに目利きなのだが、それがちっとも権威的でないところが面白い。
小物転売だけでなく、デザイナーの店も多い。洋裁・和裁のみならず、自転車までオーダーメード。しかもその自転車屋がオリジナルのジャージを販売している。品物を売るというよりデザイナーの世界を売っているという感じだ。
そして「カフェ」である。これも、店主の持つ世界をストレートに空間表現している。まず「面白くないカフェ」はない。フランチャイズのドーナツ屋でさえ面白く見えるのは、周囲に際立った店が多くあるからだ。
さらに「居酒屋」や「食堂」。よく見ると、旧住民が多く出入りする店と新住民が多く出入りする店があるようだ。
この世界について誰かから噂を聞き、あるいは雑誌の特集などを面白がって、遠い街からフラリと流れてくる人々が多い。どこか一軒、気に入った店を見つけ、通ううちに店主と話が交わされるようになる。そこで、何か別の店を紹介されるだろう。あるいは別の店に入った話をすると「あー、お友達だよー」なんて返事が返ってきたりする。
この人がこの街にとって「よく来る人」から「常連」に変わるのは、この街における「役割」が見え始めてからだ。その人の素性や仕事は関係ない。人々が集まったときどういうキャラクターを担うかということである。
あらゆるコミュニティは「役割の分担」がある。それがどううまくいっているかがコミュニティ活性化の鍵だ。谷根千界隈は役の数が多く、また、それらをうまく動かすシナリオが沢山用意されている。そして、 カフェやショップ、いろんな散歩ルートなど小さな舞台がたくさん用意されており、シナリオと役者に応じていくらでも劇的コミュニケーションを交わすことができるのだ。
常連になってこの世界の芝居に参加するのは難しいことではない。自分のキャラクターに関心があり、かつ、他の人のキャラクターに関心を持つ人であれば、あっという間に台本や舞台が提供される。この街に移り住んできた人たちが経験から生み出した振る舞いであり、それによって有名になった街なのだ。
ところが、この地域に伝統的に住んでいる、いわゆる古い住民にとっては「よくわかんない話」である。昔から古い人々と新しく来た人々の間には微妙な壁がある。
しかし、今日もまた新しくこの街に「客」として現れる人がいる。そのうちの何人かはここに引っ越してくる。あるいは店を出したり、この界隈の店で働いたりする。そして「住民」になるのだ。
なんだ、これは「港町」ではないか。次回は「港町」の舞台性いついてお話ししましょう。






