様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
時代は「編集」を求めている。
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F■注釈(付け加える) 注釈・付加・削除・拉致・保留・代行 N■綜合(みんなまとめる) 総合・創造
G■模擬(測って調べる) 模擬・測度・強調・変容 △■編集思考素

2006年03月28日

Ⅱ 教育の現場から-4.学生は「商品」である

生産デザイン学科プロダクトデザイン科・学科長となり、まず心配したことは、長年企業で培ってきたことが大学で通用するかということであった。
何しろ最初に言われたことが、「気長にやってください。企業とは違いますから…」である。どこが企業と違うのか、共通するところが果たしてあるのか、が当面知りたいところであった。
そこで企業育ちの人間が、大学という教育の場で何が出来るのかというところから検討を始めた。まず着目したのは企業も私立大学も、前者は「営利法人」、後者は「公益法人」の中の特殊法人という違いがあるものの、ともに「私法人」の中の「社団法人」に属する、ということであった。
国立大学は「公法人」に属し(当時)、私学とはかなり遠い存在であることを知る。企業と私立大学は、国立大学と私立大学よりはるかに近しい存在であることを知って勇気を得た。
企業は商品を売って利益を得、それを社会に還元することで存在が認められる。商品を作るときはまず、お客さんは誰か、というところから始める。大学ではみんな「学生は大事なお客さんである」と言う。意見が違った。
そこで、私立大学での「商品」は何かという議論に。企業での仕事が長かった私は、素直にそれは学生であると考えた。それを言ったらまわりからかなりの反発を食らった。曰く、「学生が商品だとは不遜な言い方だ」、「教育内容(カリキュラム)とかその施設こそが商品である」という具合に、である。
私としては、「良い材料を仕入れ、加工し付加価値をつけて、お客さんに喜んでもらう」という風に考えると、商品は当然学生ということになり、親御さんは「投資家(株主さん)」ということになる。
「お客さん」とは、高校や予備校、それに社会や企業である。「不良品は出さない」ことを、お客さんや株主さんにコミットしなければならない。こうした考え方は、しばらくはみんなに納得してもらえないところであった。

2006年03月22日

Ⅱ 教育の現場から-3.文明から文化へ

一息入れて、これまで言ってきた「文明から文化へ」「モノからことへ」について私見を述べておきたい。
「文化」は英語で言うと「Culture」である。カルチャーセンターの「カルチャー」だ。この語源は意外にも「Cultivate」で、耕すとか農業をするという意味。
良い土や水を見つけ、耕し種をまき、芽が出て茎や葉が育ち、花が咲き実が成り、そしてまた種に、のように時間とともに「変化」する。良い土や水を如何にして見つけるか、天候を読み如何に上手に育てるか、という個人の感度や技量が鍵を握る。当然、各人の能力と個性で「違いや差」が出てしまう。「こと(野良仕事)」をなすのは難しく厳しい。
「文明」は「Civilization」である。語源である市民(Civil)が町(City)で豊かに暮らせるように、為政者は科学や技術を駆使し、出来るだけ市民全体が「平等に均質に」と願って努力する。水道やガスが良い例だ。当然年々値段が安くなるとか、水質が良くなるなどの「進歩」が期待される。だから、ほとんどの「モノ」には値段(お金)が付く。
このように考えると「文化」は、変化し個性的で数値に表わしにくい「こと」という風に言える。これに対し「文明」は、平等を願い進歩を期待し、できるだけ「モノ」を、誰にでも分かる数値で表わそうとする。
文明と文化、どちらが良いというのではない。どちらも大事だ。がこの半世紀、科学文明に偏り過ぎたことは否めない。この反省にこそ、21世紀の「モノづくり」の鍵があると私は考えている。
教育は文明か文化か? 残念ながら今の教育は文明と言うしかない。
「進化」という言葉が好きだ。進歩と変化が組み合わさってできた言葉だと思うからだ。むしろ互いが鬩ぎあってまぜこぜになっている姿がよい。変わりざま、それが今だ。

2006年03月14日

Ⅱ 教育の現場から-2.過去に想う

21世紀は、「文明から文化の時代へ」「均質から個性の時代へ」「物から事の時代へ」といわれている。
翻ってみて太平洋戦争の敗北は、明治維新に続き日本の西洋化に大きな役割を果たした。そして戦後教育は、平等化と科学化の歩みであったといえる。
これらより日本は、欧米並の豊かさを短期間に手中にしたが、バブル経済の崩壊は科学文明への閉塞感とともに、日本という国の在りように挫折感をもたらした。一方産業界では、「良いものを安く」だけでは通用しなくなってきたようだ。
戦後の急速な進歩の因は、明治維新の成功による自信過剰と今大戦の敗北による自信喪失が重って生まれた、ある種のカオス的エネルギーだったとも考えられる。
前者にはその下敷きとして、江戸期まで神道、道教、仏教、儒教と積み重ねて出来たわが国特有の生き方に対するモラルがあった。後者では、今大戦の敗北の反省からそれらを全部捨て去り、もちろん、それはそれで大きな推進力になっただろうが、現在の問題はそのことに大きく関わっていると思えてならない。
これらから見て今、現代の若者がもっともっと日本のことを知り、日本に生まれ育ったことに自信を持つことが大切だと感じている。
欧米では高校生くらいまでに、家庭や学校でキリスト教を下敷きとした一般教養を身につけ、その上に大学や大学院で専門教育を乗せていく。
今日の日本では、小さいときから知識一辺倒の詰め込みで、その上に専門教育を加える。結果、「何のために」自分の能力を、というところで頓挫してしまう。欧米が良いというのではない。が日本も、読み・書き・ソロバンの時代の方が、知恵が働いていたような気がする。
欧米や、これから進展しようと懸命になっている国々に伍して、存在感のある日本であるためには、一日も早く日本らしい教育のあり方を自らのものにしていく必要があろう。

2006年03月08日

Ⅱ 教育の現場から-1.21世紀元年に想う

21世紀の元年、多摩美の生産デザイン学科プロダクトデザイン科を預かり、最初に行ったのは当然のことながら現状分析である。企業で育った人間の習性であろうか。
日本の私立大学にとって21世紀は、少子化が進む中、経営的に苦難の時代であることは想像に難くない。特色の希薄な大学、あるいは特色があっても、それを世の中に訴求できない大学は淘汰されてゆく。
そういった時代にわが科が、世の中から「存在が期待される科」であり続けるためには、まずプロダクトデザイン教育がどうあればよいか、さらにどのような方向を目指すべきか、これらついて現状分析や私の30数年間の実務経験をもとに、受け手である企業側からの要望も併せ考えてみることにした。
現代における若者の一般的傾向とも言えるのが、特に個性的、創造的であるべきはずの新卒の若手デザイナーに、没個性化、均質化という気がかりな傾向が見られる。
また、「自ら考えることが出来ない(しない)」、「論理的、客観的思考の訓練が出来ていない」、さらに言えば「かたち(美)に対する感性が磨かれていない」というような心配も、受け手の企業の側からも見受けられた。
そして「デザイン」という仕事についても、昔の若者よりも遥かに知識が多いしそつなくこなすが、他の人と違う「個性」や「感性」、あるいは突出した「何か」をもった人間が少なくなってきているような気がしてならない。
着任早々の私を驚かせたのは、学生に対するヒアリングで、「先生、わたし何に向いていますか?何になればいいですか?」であった。

2006年03月02日

Ⅰ 企業から教育の場へ-6.博士号への挑戦

一年経って、立命館の客員教授としての後期授業が終えた頃、私を呼んでくれた教授、それに助手や講義を聞いてくれた院生たちの計らいで、私の「ご苦労さん会」が京都駅前の日本料理屋で持たれた。
若向きのなかなかセンスのいい佇まい。若い娘さんがかいがいしく鍋の支度を。早速院生が声をかけた。「アルバイト?どこの大学?」。彼女の答えは「一応、同志社」。この「一応」に、院生はかなりショックだったようだ。日の出の勢いの立命館も同志社には弱いらしい。ブランド力とは大変なものだと思った。
酒もすすみ腹も満たされ宴たけなわになって、やおら私の助手が立ち上がり、「お陰さまでこのたび博士号をいただきました。来年度もよろしく」と嬉しそうに挨拶をした。私も、それはそれはと杯を挙げたが、よく考えると、来年からは自分の助手が博士ということになる。
「先生、一言」と祝辞を求められてつい、「私の助手が博士では…ちょっと」と言ってしまった。みんなの笑いを誘った。そうしたら一人の院生が「先生も博士になればいい!」と大きな声で。「そうだ、そうだ」ということになった。考えてもみなかったことである。  
「私が博士に?」と聞くと、「先生なら大丈夫」と背中を押された。「どのようにして?」「教授や先輩博士が教えますよ」などのやりとりのうちに、店を出る頃にはすっかり博士号に挑戦することになっていた。論文博士というものらしい。
そのあと助手の博士さまは、京都駅まで「のぞみ」の最終に乗る私を見送ってくれた。道すがら、「ところで、1年間ボクの講義を聴いてくれて面白かった?話していること、分かった?」と聞いてみた。「面白かったですが、学部生は3分の一も分かれば良いとこでしょうか」という返事。この一言が、私の博士号挑戦のエネルギーになったのである。
この後の悪戦苦闘の顛末はまた追って述べることになるが、生来の抱え込み症は治らないようだ。


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