様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
時代は「編集」を求めている。
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C■順番(繋げて較べる) 順番・規則・交換・競合・比較・共鳴 K■諧謔(おおげさにする) 歪曲・不調・輪郭・諧謔
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E■引用(盗んで補う) 比喩・推理・引用・例示・補償 M■劇化(物語で遊ぶ) 筋道・脚本・劇化・遊戯
F■注釈(付け加える) 注釈・付加・削除・拉致・保留・代行 N■綜合(みんなまとめる) 総合・創造
G■模擬(測って調べる) 模擬・測度・強調・変容 △■編集思考素

2006年05月31日

Ⅱ 教育の現場から-13.ブランドづくり

「5カ年計画」に基づき、実施できるもから手をつけていく。
特に、目に見える施策に効果があった。前述の講評会のラウンドテーブル化や教授室の大部屋化に続き、取り組んだのは「科のカタログ」つくりである。ブランドを上げるには中身をしっかりつくり上げると同時に、外に向かって自分たちがやっていることを発信し、知ってもらうことが重要と考えたからだ。
が当初、広報部からは予算が下りなかった。「科単独で、これまでそんなことをやったことがない」と言う。「自費でやる」と突っ張ると、見積もりの半額の予算がやっとこさ下りた。半額ではろくなものが出来ない。そこでやむなく手作りでやろうということになった。
学生と先生とが一緒になって、5ヵ年計画立案の議論をしながらのカタログつくりとなり、いろんなアイデアを盛り込み、心のこもった充実した内容のものになった。
同時に、科のカラーやロゴ、それにシンボルマークづくりにも取り組んだ。
これらは夏休み前に出来上り、それをまず科の全学生に渡し、自宅にもち帰って親御さんに見てもらった。子供さんがどういう所でどんなことを学び、世の中のためにどんなお役に立てるのかがよく分かった、と言って親御さんが喜んでくれた。夏休み中のオープンキャンパス、進学相談会に威力を発揮したのは言うまでもない。
次の年、多くの学科が追随してきた。ちゃんと予算ももらえたそうで、科の若い先生たちは悔しがった。が、「真似るよりより真似されろ」である。
それと上杉鷹山の話ではないが、消し炭に火がつき、だんだんと周りが燃え盛り、そのうちがんがん熱くなり、当大学全体のブランドが上がればしめたものではないか。
目標の9月には、何とか、科の「5カ年計画」を学校側に答申できた。

2006年05月24日

Ⅱ 教育の現場から-12.5W1H

「5W1H」、これもホンダに入ってすぐに覚えたもの。もう40年近くお世話になっている。ご存知の通り、Who, When, Where, What, How, Why(だれが、いつ、どこで、いつ、なにを、どのように、なぜ)。
「Design」の語源は、ラテン語の「Designare」。本来の意味は「行為に先立って、その目的(What)や方法(How)を考える」である。すなわち、デザインとは「何を、どのようにするかを考える行為」なのだ。
1989年、名古屋で行われた世界デザイン会議に出席した際、あなたにとってデザインでもっとも大事なことを一言で、という問いに答えたのが「!?」であった。
「!?」は、「?」と「!」を合わせたもの。「?」はQuestionで「探究心」、「!」はExclamationで「感嘆」、二つあわせて「好奇心」や新しい発見による「歓喜」ということになる。「不思議がる心」と「感動する心」とも言える。
「?」と「!」について、あるとき面白い発見をした。「5W1H」の中で、「?」と「!」の両方を使うのはWhatとHowだけ。デザインの語源でいう目的と方法だ。
そして他は「?」だけを使うわけだが、この代表格がWhyである。私は困ったとき、いつもこのWhyの助けを借りる。なぜ?と問いかけてみる。Whyをモノづくりのための「魔法の杖」だと言った人がいるくらいだ。これで何度助けられたことか。
私の授業で、この「5W1H」を使った演習がある。学生にはまず、自分のやりたいデザインについてレポートを書いてもらう。
その中に、「5W1H」がきちっと書き込まれているかを確かめ、その上で、無駄な部分をとことん削ぎ落とし、これ以上削れないほどの短文に仕立てる。
これをもとに情景を想像し文章を絵に置き換える。自分のやりたいデザイン(モノ)が、どのように使われているかのシーンを描くのだ。使っている人が喜んでいる姿が表現できればさらに良い。
でき上がった絵を見ながら、もう一度「5W1H」を書き直してみる。これを何度も繰り返していくうちに、自分が何をやりたいのかが明確になってくる。

2006年05月17日

Ⅱ 教育の現場から-11.カリキュラム改革

目標用件を「世界に通用する自立したプロダクトデザイナーづくり」と定め、そうした学生を育てるためのカリキュラムになっているかの検証の中で、どういうこと(科目)を、どういう時期(学年)に履修すべきかを徹底的に議論した。まず話題に上ったのが指導陣の不足である。
そこで、縦に科目、横に学年のマップをつくり、その上に先生たちが現状どのように関わっているかをプロットしてみると、驚いたことに、先生が不足しているという割には、同じようなことを同じような時期に、複数の先生がダブって関わっていることが分かった。
みんなで自分が得意なものをやっていたのである。「必要な時期に必要な授業内容を」を目標に、カリキュラムの見直しが始まった。これが、先生方へ担当科目をお願いするとき大いに役立つツールとなり、科目の変更や採用などの人事にも説得力を発揮したのである。
他大学に先駆け20年前から進めてきた産官学共同研究も、新しい展開に入った。成果物を都心で一般の人たちやプロの人たちに見てもらい、評価してもらうチャンスをつくろうと、企業の方々にもお願いし実現の運びとなった。
東京国際フォーラムでの富士フィルムとの産学共同プロジェクトの発表会や、青山にある福井県291会館での鯖江市めがね協会などがある。鯖江市でのコンペで学生の一人がグランプリを獲得し、2位に入った学生と二人でパリのコンペに招待された。天覧試合で勝つことが、学生たちのモチベーションアップに繋がるという確信が得られた。
こうして5カ年計画の立案を検討しながら、かたや学生たちを巻き込んでのムードづくりが動き始めた。
本田宗一郎に叩き込まれた「現場・現物・現実」の実践である。

2006年05月10日

Ⅱ 教育の現場から-10.「先進」

「先進」についても触れておこう。これも難しい。進みすぎても人はついてこられないし、ちょっとでも遅れると誰ひとり振り向いてもくれない。本田宗一郎は「半歩先」と言っていた。一歩だと先を行き過ぎるというのである。
同様なことを、かの有名なアメリカのインダストリアル・デザイナー、レイモンド・ローウィが「MAYA」と言っている。Most Advanced Yet Acceptable.すなわち「受け入れられる最も進んだ状態」ということだ。
この位置を見定めるのが、モノづくり、ことに商品を産み出す過程のもっとも楽しいところ。が、マーケットリサーチやユーザーアンケートなど、最新の科学的な手法をもってしても、この半歩先の距離感を見つけるのは難しい。
なぜか? それは直覚(感性)の世界だからである。というとそこから先なかなか進まないのだが、経験的にいうとそれは、眼・耳・鼻・舌・身、の5感、すなわち視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、を研ぎ澄まし、その全機能を使った判断(意)、それが直覚である。第六感といわれるものだ。
最近は、これが働く人は少ない。というよりほとんどの人は、これを働かないようにしている。How to本を読み、インターネットを見、携帯を使って動いていれば5感が働く場所もない。これでは第6感が鍛えられるわけがなかろう。
本田宗一郎の言う「現場・現物・現実」の3現主義は、5体・5感、全知全能を傾けて事に当たれと教えている。
人間は「欲望」と「競争」の生きもの。ゆえに新しいものを好み、世の中は絶え間なく日進月歩する。芭蕉の言う「不易流行」である。その新しさをどう摑まえるか。いつにモノづくりはそこにかかっており、だから、技術以上に感性が重要とされる。センスがいいというのは、感度がよいということなのだ。
「先見、先取、先進」、先を見て、先に取り、そして進む。真似されたら、そのときはもっと先に進んでいる。進みすぎず半歩先を…
 これを続けるのは苦しい。感性と忍耐の外なにものでもない。が、楽しいのである。何故か?それは人の喜ぶ顔が想像できるからだ。
 これもローウィの言葉を借りると、Never leave well enough alone(まあいいか、というところであきらめるな)、本田宗一郎流に言うと、「とことんやれ」ということになる。

2006年05月03日

Ⅱ 教育の現場から-9.「独創」

さて「独創」だが、この反対が「真似」である。ホンダに入社以来、本田宗一郎から、耳にたこができるほど[マネすんな!]と言われてきた。真似をしないというのはつらいこと。私は、「真似とは?」と真剣に考えた時期がある。
「学習」という言葉がある。「学ぶ」という字は「真似る」から来ている。人は幼い頃は両親から、長じては先生や先輩の真似をしながら大人になっていく。
「写生」は自然のものをそっくりに写すこと、「模写」は先輩のつくった優秀な作品を正確に再現することをいう。が、いずれも徹して真似をすることなのだ。
それを何度も何度もくりかえしているうちに、なぜ? どうして? というところまで迫っていき、やがて自然物や優れた作者の心の中に入っていくことができる。
 また、「習う」の語源は「馴れる」である。同じことを何度も繰り返してやっていうちに馴れてきて、目をつぶっていてもできるようになると、ひとりでに自信がつく。こういうことを「身につく」「板につく」という。
身につくというのは、毎日毎日着物を上手に着る工夫を繰り返すと、着物と体が一心同体になることから来ている。板につくというのは、能、歌舞伎の世界で練習に練習を重ねると、板(舞台)が自分のものになることをいう。
中国の著名な書家の言葉に、「摸書」「対臨」「背臨」というのがある。「摸書」はお手本を下敷きにし、そっくりに書けるようになる。「対臨」はお手本を横に置き、それを見ながらそっくりに。そして「背臨」はお手本なしでそっくりに。それを乗り越えてはじめて自分なりのものを書くのだという。
 能の世界でいう「守・破・離」も然り。世阿弥は、「物真似も極まれば独創になる」と言っている。
このように、優れたお手本を真似て体で覚えるまで「馴れる」ことを学習という。腰が入るようになるには生半かの努力では出来ない。良い手本を見つけ、学習を重ね、基礎をしっかり身につけはじめて出来るもの。そのうえで、その人なりの個性が創り出されるものなのだ。これを「独創」という。


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