Ⅱ 教育の現場から-34.知識と知恵
学生たちのみならず我々は、先人がつくりあげた学問を先生や教科書によって「知識」というかたちで学ぶ。言うならば、すでに掛けられている「学問の梯子」を途中から登り始めるということだ。定理や法則はそのまま用いればよい。一方、職人やデザイナー、画家や演奏家、語学もそうだが、こうした技術は「体で覚える」しかない。
だから目標とする名人の技は、ゼロからの修練を重ねなければ身につかない。中には生まれながら才能に恵まれた人もいるが、普通はそうではない。「模倣」するにしろ「伝授」されるにしろ、目標に向かって掛けられた「技術の梯子」は、一番下から登らねばならない。
さらに「心を込める」にあたっては、どんな「心」をどのように込めるのか。他人の心は見えないし自分の心を見せることも出来ない。つまり「真似する」ことも「教える」ことも出来ないということで、結局「心の梯子」は自分で自分の目標に向かって掛け、一番下から登らなければならない。
同じ「モノつくり」でも、一つ一つを手づくりで仕上げる職人の仕事と1ロット何十万という単位の大量生産に関わるデザインとは、一見全く違う世界のことのように感じられるが、どちらもその根本は同じである。
デザインの「知識」や「技術」は、学校で学んだり先輩から教わったりするなど、繰り返し練習すれば身に付けることができる。ところがいくら本を読んでも先生に教わっても、身につかないことはたくさんある、というより、こういうことの方がはるかに多い。
どんな仕事でも、自分の頭で考え心を動かさなければよい結果は残せない。これが「知恵」というものである。そしてこの知恵は、こうしたい、こうしてあげたいという[想い]によって引き出される。つまり「想い」は、知識の詰った蔵の扉を開ける鍵であり、知識が外に飛び出たとき、たちまちそれが知恵に変わるのだ。
この豊穣の時代に、「想い」をどのようにして学生たちに抱かせるか。心を動かし揺さぶる「豊かで刺激的な教育の場づくり」を急がねばらない。






