様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
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2007年03月29日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第12話.「100マイルカー」

「アメリカは、今や時速100マイル(160Km)カー時代ですよ」と、出張で日本に来たアメリカンホンダの責任者が研究所で話をされた。N360の成功の後、そのお客さんが次に乗る車として、エンジン排気量800ccのセダンタイプの開発が始まっていた。私なりにパブリカぐらいの車かなと。
60年代後半ようやく日本も、名神に続き東名が開通。さらに各地で高速道路の建設が進み、世はまさに高速時代に入ろうとしていた。若い頃「カーチス号」をつくり、S600で自動車産業に参入し、F1で世界に挑んだ本田さんにとって絶好のチャンスが到来したのである。
またN360の成功が、圧倒的な性能によるものであったとすれば、「時速100マイル」は、次に求める魅力的な指標となったはず。そのせいか、開発を始めたばかりの車の性能を上げるため、日を追うごとに排気量が大きくなり、とうとう最後には1300ccまでになった。
排気量やサイズは、車の性能や性格を決める要素である。デザイナーは排気量のアップに対し、パワーに見合ったスポーティーな格好を考えたりサイズに合わせて車格感を出すなどして、その車独自の形をつくる。
が、デザイン作業が進む中で、全長はどんどん伸びていくものの、車幅は当初のままである。本田さんの考えでは、空気力学的には前面投影面積(幅×高)が小さいほどスピードが出るし、車幅増が重量増に及ぼす影響が大きい、だった。100マイルカーの実現を目指して、エンジン性能、空力性能、重量軽減に邁進した。
その後この車は、「ホンダH1300セダン」という名で発売。エンジンの馬力によって、「77」と「99」の2タイプが用意された。確かに、高速道路を時速100マイル(160Km)で走るなら感動的な車になっていた。が、「いい車か」と問われると、残念ながら「尖った車」と答えるしかない。
デザイナーとしての心残りは、あまりにも細長い車になってしまったこと、それに、四角張った形になってしまったこと。心残りとは言うが果たして、こんな車に「したい」という強いイメージがあったかと聞かれると心もとない。
もう一つ、これは重要なことだが、N360のユーザーにとっては、とてもステップアップできる車ではなかったということだ。デザイナーは形をつくるだけでなくその前に、お客さんの心を見据えたしっかりした企画立案能力を備えることが必須であると痛感した。

2007年03月22日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第11話.「原理原則」

「ホンダH1300セダン」のクレーモデルを見て、「ここが凹んでいる。こういうのは弱く見えて駄目なんだ」と本田さんが。いよいよボディ断面の検討に入っていた。やっている当人にはボディを凹ましている意識は全くない。どこのことかと戸惑っていると、「ここだ」と指を。
そこは丁度ボディ側面の肩口の辺りで、ドアの上部から100ミリほど下がったところ。前から後ろまで通した強い線が通っている。その線から上の面に対し、下の面を一段落とし込んで出来た段差に逆アール(円断面)を付け、そこにできる陰を利用してボディ断面を立体的に見せ、かつ強調した線で車を長く見せようとした手法。
「君はプレスのことを知ってるのか。プレスはな、イタ(鉄板)を引っ張って伸ばして殺すもんだ。この凹みだとイタは死なない。だから弱いんだ」と。不審な顔をしていると、「まず凹んだところを埋めなさい」と一喝。
一生懸命考えたのにと悔しさが残る。凹んだ個所を粘土で埋めながら、「イタが死ぬ」とはどういうことなのか、形は凸面だけでつくれるものなのか、そこからの勉強になった。車体、材料、金型、プレスと、N360の開発で知った仲間を駈けずり廻りいろいろと教わる。
判ったことは、原理原則を知らずに「形」はつくれないということ。鉄板には抗張力というものがあり、伸ばしたとき弾性限界を超えると切れてしまう。が、適度に伸ばすと強さが出て、しかもそのあと変形の無くなるポイントがある。鉄板がこういう状態になることを「死ぬ」と言う。
材料とつくり方のうまみを、生かし切ることの大切さを知った。思いつくままに絵を描き、粘土でモデルをつくれば良いってものではない、と言われたも同然。そんなつもりで名車と言われる車を眺めてみると、さすがに抑えどころは守られている。
さらに気付いたことは、「面」というのは顔と同じで、張っている方が明るくて元気に見える。げそっと頬がこけたり、皺(しわ)のあるのは貧相。車は人の命を預かるものだから、信頼感のある形状が期待される。N360 の開発でいろいろと体験したつもりが、まだまだこれからだと痛感した。
後になって分かったことがある。ただ原理原則を守れば良いかというと、そうでもない。知り尽くして乗り超えないと「独創」は生まれないと。が、この頃はそれどころではなく、覚えなきゃならないことだらけ。火の粉は、いくら払っても落ちてくる毎日だった。

2007年03月14日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第10話.「逆もまた」

軽ライトバン「ホンダLN360」の試作初号機が完成。後部扉の上下2枚開きが特徴である。試作車とはいえ、上開きのヒンジ(蝶つがい)があまりにも見苦しく突起していた。気になった。案の定、本田さんに見つかる。私を見るなり、「この格好は、何だ」と恐い目で。
私としても初めて見る形。この手の構造部位は、設計の担当でデザイン室の関わるところではない。が、この前も車高設定で痛い目に遭っている。「まずい」と思ったが手遅れだった。「すぐ、直しなさい」と手厳しい。
出っ張りを引っ込めれば位に軽く思っていたが、簡単でないことが判った。「そこを何とか」と設計担当に頼んだが、扉上部の見切り線を水平に真っ直ぐにしない限り無理、とつれない返事。そこへ本田さんが現れた。
「これ以上、何とも」と設計担当が機構上の説明を。が、逃げ口上と受け取られ、またもや一喝。そして「それなら、外付けで考えて見ろ」と。これまで出っ張りを無くそうと努力してきたのに、いきなり見えるようにしろと言われて面食らった。
早速、「ホンダS600」のトランク部についている外付けヒンジを参考にデザインを開始。強度上テールゲート側の取り付け場所が限定され、中々スマートにならない。そこで、できるだけ小さく目立たない形にと努力した。
それを本田さんが見て、「もっとでっかく、目立つように」と。自分の思いと反対のことを言われるのでますます訳が分からなくなり、やけくそでヒンジのモデル上に粘土を盛り付け、当初の5割増しくらいの大きさにした。今度こそ大丈夫と思ったが、「ちっとも変わっとらん。まだ分からんのか」と怒鳴られ、ヒンジを床に叩き付けられた。
「こんなんじゃ目立たない。肩章は大きくて光っているから御利益があるんだ」と。更に5割増しぐらいの大きさに。やっと「オッケイ」が出た。結局、最初の倍以上の大きさになってしまった。
以来そのヒンジは、仲間うちで「肩章」と呼ばれるように。大きさも形も自分の許容限度を超えていた。それが世の中に出て、誰からも厭だとか嫌いだとか言われなかったところを見ると、私の方に「小さく目立たなく」という拘りがあったのかも。
「逆もまた」というか「押して駄目なら」というか、一方向だけで凝り固まっていては新たな進展はない。また自分の考えだけに閉じこもっていては拡がりがない。不特定多数のお客さんに喜んでいただくのは、大変なことだと思い知った。

2007年03月07日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第9話.「とことんやる」

「すぐここへ持ってきなさい」と本田さんに。「ホンダN360」が売り出されて間もない頃。急いで新車をデザイン室の中央に置いた。本田さんはその周りをぐるぐると廻って、「君たちは、街で走ってるこの車をよく見ているのか」と厳しい口調。
みんなで「はい」と答えると、「それなら、どうして悪いところを直さないんだい」と睨まれる。気になるところ心残りのところが無くはなかった。しかし、売り出したばかりで評判も上々、売れ行きも凄い。有頂天になっている頭に冷や水である。
その日から実車との睨めっこ。街で見て気になったところを、デザイン室に戻って確認する作業が繰り返された。やり残したところの最大は、開発の過程で急遽、側面のガラスを平面から曲面に変更した際に修正が追随できず、前と後から見て、稜線が直線のままになっている前後のピラー(柱)である。
この各ピラーの稜線も全て、直線から曲線に修正しなければならない。これによる数ミリの変更は、前後両側のピラーとルーフの金型の大改修に繋がった。事が余りにも大きいのでおろおろしていると本田さんが、「金型工場に行って、工場長に説明してこい」と。
この手の伝令はN360の量産立ち上がりまでに何回も経験し、行く度に「また、おまえか」と言われる程に。お陰で工場長からは「設変(設計変更)の使者」というあだ名を頂くまでになったが、今回は少しばかり桁が違う。
私が行くと、すでに首脳陣が集められていて、「おっ、設変の使者が来たぞ」と迎えられた。すでに連絡が来ているらしく少し気が楽に。説明を終えると、さすがにみんな「うーん」と唸った。しばらく沈黙のあと工場長が口を開き、「一度、納得の行くころまで、とことんやってみろ」と言ってくれた。
戻って本田さんにその旨を報告すると、「そうか」と一言。作業が本格的に始まる。もう、開き直ってやるしかない。結局この大掛かりな修正によって、これが同じ車かと思うくらい張りのある姿になった。例えば、重病人が健康体になったくらいの変り様である。誰もがそう感じた。
クレーモデルをとことんやり切ったところで、変更内容をすべて量産車に適用することになる。そのとき工場長から、「おい、設変の使者よ、これまでいくら金を使ったか知っているか。一台分の金型がつくれる位なんだぞ。おまえの勉強代だと思えよ」と言われた。この言葉は一生忘れない。肝に銘じての30有余年であった。


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