Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第13話.「地獄から天国へ」
車体の試作室で本田さんが担当者を呼べと。上司から「おまえ行ってこい」と言われる。「ホンダH1300セダン」の車体の前で本田さんが仁王立ち。すでに板金加工された各部パネルが溶接治具上で結合され、ドアとの合わせ段階に入っていた。
「君か!」といきなり。この前もこの手で痛い思いを。本田さんは2メートルの金尺を水平に持って前後2枚のドアに当てながら、「この芋虫みたいなのを、直ぐ何とかしなさい」と私を睨んだ。
見ると前後2枚のドアは、それぞれ中央部が膨らんで太鼓状に。それが2つも並んでいるので、「芋虫」と言われても仕方がない。単体チェックのとき職人さんに修正を頼んだのだが、技術的に難しい、時間がないとの理由で聞いてもらなかった。
職人さんたちの困った顔。言い訳はしたくない。つい男気を出し「今からでは、難しいです」と言ってから、「まずい!」と思ったが手遅れ。本田さんの顔が急に真っ赤になり、「君では分からん。所長を呼んできなさい」と。
所長室に飛んで行って、「実は…」「おとうさんか」「はい、呼んでこいと…」、もう所長は歩き出していた。歩きながら「どこだ」「板金です」「あの…」と訳を話そうとしたが歩く方が速い。気がついたら現場に着いていた。
本田さんは所長を見るなり、「彼を、やめさせなさい」と部屋中に聞こえる大声で。「解りました」と所長。そして「行こう」と私の袖を引っ張った。所長の後を歩きながら恐る恐る、「あのぅ…やめることになるのでしょうか」聞くと、「こんなことでやめていたら誰もいなくなるよ。あとで板金へ行ってみるんだな」と片目を瞑った。
すぐに板金室へ。「やられちゃったねえ。おまえさん見直したよ」と職人さんたちが。そして、「さあ、やるか」と4枚のドアをはずし始める。「どうするんですか」と聞いたら、「直すんだ」と言う。「直るんですか」と訊ねると、「まあ見てろ」と腕をまくった。
4枚のドアを床に並べバケツと雑巾を用意し、ガスバーナーをうーんと絞り、ここぞとおぼしき場所を見定めお灸をすえるように赤め、間髪を入れず濡れ雑巾でそこを冷やす。この作業を何回か繰り返すうち、ハンマーも当て金も使わず太鼓状のドアが見事フラットになった。
到底無理だと思っていた4枚のドアが、次々と修正され手際よく車体に組付けられる。地獄から天国へ、なんとも不思議な一日。本田さんは叱る名人だが、所長も結構役者であった。






