様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
時代は「編集」を求めている。
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C■順番(繋げて較べる) 順番・規則・交換・競合・比較・共鳴 K■諧謔(おおげさにする) 歪曲・不調・輪郭・諧謔
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E■引用(盗んで補う) 比喩・推理・引用・例示・補償 M■劇化(物語で遊ぶ) 筋道・脚本・劇化・遊戯
F■注釈(付け加える) 注釈・付加・削除・拉致・保留・代行 N■綜合(みんなまとめる) 総合・創造
G■模擬(測って調べる) 模擬・測度・強調・変容 △■編集思考素

2007年05月30日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第21話.「目標の共有」

「人間のように、気配を感じる車ができないかねぇ」と本田さん。「ホンダシビック」の成功後、次の車の検討に入っていた。人は雑踏の中で、他人とぶつからずにスイスイと歩ける。前方はもちろん、横や後ろから近づく人まで上手くかわしていく。こんなことが車同士で実現できるのか。チームの誰もが、これは極めて高いハードルだと感じた。
人間は、「五感」をフルに使って歩く。いわゆる、「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚」によって周りの状況を感じ取る。今ならセンサーを使うことになろうが、この時代、「三等機械」を自認する自動車には望むべくもなかった。
そこで、運転する人の五感を妨げないためには、という身近なところから取りかかることに。「判断」や「指令」についても研究する必要があった。が、残念ながら、これらに関する専門家は所内で見当たらず、手分けをして専門の先生方の教えを請うことになる。
勉強の結果、一番の頼りは「目」であると。先生の話では、情報の8割は目が受け持っているらしい。しかしその目も、スピードを上げると極端に視力が落ち、視野が狭くなるそうだ。また高齢化や長時間運転も、目への影響は大きいという。いかに目を働き易くするか、目の負担を軽くするかが「鍵」となる。運転者の死角を極力なくすことに焦点を絞った。
また、メーター類からの情報はできるだけ見やすく、優先順位を付けて配置。操作類も視線を動かさずに済むよう手元に近づけ、動きもスムーズになる機構とし、視覚により得られた情報を正確に「認識」できるよう工夫した。
同時に、認識した情報を、瞬時に「判断」し行動に移せるよう「指令」するには、常に身心を正常に保たねばならない。それには「疲れない」車にすることが一番だと考えた。
こうして「アコード3ア」は、「120キロ快適クルーズ」というキャッチフレーズで鮮烈にデビュー。シビックに続く大ヒットとなった。そのデザインは前後のピラーが極端に細く、ベルトラインやボンネットの高さは思いっきり低く、ガラス面積がびっくりするほど大きかった。
大衆車としては始めて「オートエアコン」や「パワーステアリング」という快適機能も装着。「気配を感じる車」をテーマにさまざまな検討を経て、これまでにない新しいスタイルを生み出すことができた。まさしく考えが形になり、それが特徴となる。目標を共有しみんなで力を合わせることで、高いハードルも越えられる、ということを学んだ。

2007年05月24日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第20話.「新しいデザイン」

「芸術家にゃ、新しい形なんかできゃしないよ」と本田さん。初代「ホンダシビック」の成功を良いことに、新しがって、これ見よがしに車の絵を描いていた30歳過ぎの頃。本田さんには、独りよがりの鼻持ちならない絵描きとしか写らなかったようだ。工業デザイナーの役割を問われたようで、思わず我に返った。
「モノ」の色や形をつくり出すのはデザイナーに限らない。画家も彫刻家も陶芸家も同様である。が、こうした人たちは、「芸術家」と呼ばれても「デザイナー」と呼ばれることはまずない。しかし、デザイナーの仕事が芸術的と言われることはままある。
どこに違いがあるのか。芸術家のつくる「モノ(作品)」とデザイナーがつくる「モノ(製品)」は大雑把に言って、一つだけつくるか大量にかの違いがある。芸術作品は特別な例を除き、ただ一つの作品をつくり上げるのが一般的。大きな絵画や彫刻など助手を使う場合もあるが、大抵は一人でつくる。デザインは反対に、企業の中で大量生産を前提に、多くの人々の共同作業でつくられる。
芸術家は自分のためだけの「作品」つくりが許されるが、デザイナーの「モノ」は「商品」として広く社会に流通し、多くの人に受け容れられ、日常生活に役立つ「世のため人のため」でなければならない。こうした「モノ」が、結果的に世の中に害をもたらすようでは本末転倒。今に生きるデザイナーは、環境、安全、エネルギー問題を避けては通れない。
さて次に「新しい」という言葉だが、これも難しい。デザインの場合、これが「旬」という言葉に置き換えられる。新鮮な素材、それに相応しい料理の方法、そして料理の腕前、この三つが揃わないと、いくら器が良くても盛りつけに工夫をしても、人の心を打つ料理にはならない。
どんな製品にも、新しい材料、新しい製法、新しい技術が必須。が、最も重要なのは、料理同様に「どんな料理をつくりたいか」という「コンセプト」。これらが全て揃って始めて「新しいデザイン」が生まれる。少しばかり絵のうまいからと言って、「新しいしいデザインはつくれないぞ」と言われたのも同然。
新しい材料、製法、技術をつくり出す人たち、そして新しいニーズを生み出してくれる人たちが一緒になってはじめて、「新しいデザイン」となる。芭蕉の言葉に「不易流行」がある。「新しさ(流行)を重ねて行くことが、普遍性(不易)に通じる」といった意味とか。胸に深く刺さった。

2007年05月16日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第19話.「エンブレムは誰のため」

「これじゃ、読めないじゃないか」と本田さん。「ホンダH1300クーペ」の車体前部側面に、乗用車用として初めて独自開発した機械式フューエル・インジェクション(燃料噴射装置)のエンブレム(表象)を、どの辺りに取り付けるかを検討していた。
この装置は、エンジンを高性能化するもの。精巧で、精密で、先進的というイメージを出したかった。そこで、クロームメッキを施した細身のローマンタイプの字体に地色は艶消しの黒とし、上品で高級な感じが出るように工夫。エンブレムは、他車のものと比較して随分大きくしたのに、と不服そうな顔をしていると追い打ちをかけるように、「ちゃんと読めるようにしなさい!」と強い口調でたしなめられた。
「読めないかなあ」ともう一度眺めてみる。大きさが足りないのか、字体が悪いのか、処理がいけないのか、とにかく急いで対策することにした。まずは大きさを思い切って2倍くらいにしてみる。が、「これじゃ大きすぎる」と言われると思いきや、「デザイナーの勝手で、つくられてたまるか」と、またもやきつく叱られてしまった。
理由はこうである。この技術は、設計者が苦労に苦労を重ねて開発したホンダが世界に誇れるシステム。が、外から見て、お客さんはボンネットの中にどんな素晴らしい技術が入っているか分からない。つくった連中も胸を張って威張りたいはずだ。だのに君たちデザイナーは、お客さんの気持ちもつくった人のことも考えず自分勝手にデザインしてやがる、ということらしい。
またしても大反省。大きさだけでなく表現方法にも問題があったようだ。一つには、シンプルすぎて手が込んでいるように見えない。二つには、メッキの文字が光の当たり方によって黒くなり、地色の黒に同化してしまう。三つには、字体のローマンタイプはセリフ(ヒゲ状の飾り)が煩雑で読みづらい。
結局、大きさは長さで300ミリ近くに、字体は見やすいゴシック体にしたうえ立体的にし、文字が目立つような地色を選び、やっと「よかろう」ということになった。その上さらに、リアガラスに大きなワッペンを貼ることになる。私など「ちょっと、やりすぎでは」と、さすがに恥ずかしさが先に立った。
が、発売後に、この技術を開発した連中から、報われた気持ちだと礼を言われた時には、照れくさい気持ちと同時に、「エンブレム一つで、こんなに喜んでもらえるんだ」と気を引き締めたものである。

2007年05月09日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第18話.「おんもら」

「これは、おんもらしていていいねえ。こういうのは見ていて飽きないよ」と本田さんが。ほぼ仕上がってきた初代「ホンダシビック」のクレーモデルを見ながらの話である。私には「おんもら」の意味がよく分からなかったが、誉めてもらえたのだろうと。
調べてみたが、どうも静岡の方の言葉でもないらしい。それから暫くこの言葉が私の頭から離れなかった。そんなある日、粘土を盛りながらふと、形には「盛ってつくるもの」と「彫ってつくるもの」があるな、と気付く。
「盛る」方は、粘土でつくった「原型」から雌型を取り、そこに青銅を流し込んで雄の「形(ブロンズ像)」をつくる。「彫る」方は、ギリシャ彫刻のように、「たがね」や「のみ」と「ハンマー」を使って、大理石から直接「形」を彫り上げるというやり方。日本でも、盛ってつくるものに漆像、彫ってつくるものに木像がある。
鋳造法やプレス法が発達し大量生産の世の中になった今でも、その原型となるマスターモデルは「一品生産」で、「盛る」「彫る」の二つの方法を組み合わせてつくられる。こうしてみると、我々のつくるフルサイズ(1/1)のクレーモデルも一品生産だが、どちらかというと「盛る」方に近い。
後の分析で判ったのだが、ホンダ車のデザインは線であれ断面であれ、放物線で出来ている。当然であろう。「盛り」は身体(からだ)全体を使う。荒付けは手の平でやるのだが腰を使わないと力が入らない。仕上げは指を使うが指先だけでは長時間はできないし、やり過ぎると腱鞘炎になる。例え細かい仕上げでも「身体全体を使って」が大事で、これは字や絵を描くのと同じだ。
人間の身体は「竹」のごとく、太く長いものから細く短いものへと節を介して繋がっている。胴、上腕、小手先、手のひら、指、指先と、足も同じく太股、臑、足の甲、指、指先となり、いずれも腰から始まる。
人間の身体の構造と動きは、竹が風にそよぐように、しなやかな放物線を描く。自然の形は素晴らしいもの。近代化や合理化がいかに進んでも、こうした拘りは大事にしてゆきたい。
ずっと後になって偶然、「おんもら」という言葉を諏訪湖に近い食堂の老主人から聞いた。本田さんは浜松に近い「天竜の出」だと聞いていたが、と不思議に思って訊ねてみると、「そりゃあんた、あっちとは天竜川で繋がってるずら」であった。そしてこれはやはり褒め言葉で、温かみだとか人間味だとか、そんな意味だそうな。

2007年05月04日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第17話.「台形スタイル」

初代「ホンダシビック」のデザイン作業が進んでいた。この頃、軽自動車と小型自動車の間に、車の占有面積「5平米」という新しい規格案が持ち上がった。車による公害が深刻になりつつある中、渋滞、駐車などの問題解決のためとされた。
結局この法案は施行されなかったが、サイズを極力小さくしようとする我々の検討に符合した。当時の軽自動車の規格は1300×3000ミリの「4平米」。それに、幅で150ミリ、長さで2~300ミリ足した1450×3200~3300ミリでスタート。間違っても「5平米」に入ることを目標にした。
駆動方式はFF(フロントホイール、フロントドライブ)、エンジンとミッションは横置きタイプを採用。が、毎日のようにエンジンとミッションの幅が広がる。1450ミリを超えて、さらに1500ミリをはみ出した時は、さすがにみんな青くなった。
結果、トレッド(タイヤの接地部分)間隔が広がり、またタイヤのサイズも少しずつ大きくなって、自動的に全幅も広がった。その分、全長に皺寄せがきて5平米以内とするには3300ミリが限度となる。室内空間の確保のためホイールベースが長くなり、オーバーハング(前後輪より先に伸びた車体部分)が極端に短い「四隅タイヤ」のディメンションができ上がった。
この骨格をもとにデザインは急ピッチで進められた。だんだんと形が見えてきたが、中々みんなに理解してもらえない。そこで、かつての「N360」の転倒問題を逆手に、「台形スタイル」で地面に吸い付くような感じの、見るからに「安定感」のある形にした。
が、陰の「ぶつぶつ」が聞こえてくる。「団子みたいで、格好悪い」などと。そこで、「この車には、いま流行りの流麗さはありません」「この車のイメージは、アラン・ドロンではなくチャールス・ブロンソンなんです」「白魚の手ではなくて、げんこつの手です」「美しい、じゃなくて、可愛いなんです」などと、あの手この手で売り込んだ。
それが功を奏したか、ようやく「そう言われてみれば」と言ってもらえるようになった。こうして「台形スタイルの安定感」は、シビックの「デザインコンセプト」となる。
本田さんから、「台形はいいねぇ。うしろから見て格好いいよ」と大変喜ばれた。ご自身はトランク付の立派なセダンに乗っておられたが、「これからつくる車は、みんなこうするんだな」と背中を押してもらった。天にも昇る嬉しさだった。


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