様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
時代は「編集」を求めている。
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2007年10月24日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第42話.「お母さんのおにぎり」

「腹へって死にそうだと言う人に、すき焼き肉を買いに行くから待っていてくれ、と言うのか」と本田さんに一喝された。経済成長は留まるところを知らず、人々の車に対する嗜好も、より上級にラグジュアリーにと向かっていた。他社はこの傾向をいち早く捉え、上級小型車を続々投入し絶好調。ホンダはこうした動きに手をこまねき出遅れていた。
この手の車は、ホンダが中々攻めきれずにいた領域でもある。日本の市場では若い頃はホンダでも、大人になると他社に行ってしまう傾向にあり随分と悔しい思いをしてきた。今度こそはとアコードシリーズの中に、5気筒エンジンを搭載した上級セダン、インスパイアー/ビガーを加えたのであるが。
それにも拘らずの厳しいご指摘。やれ技術だ、性能だのと頭でっかちになって今この瞬間、お客さんが本当に欲しいと思っているものを素直に提供できていない。先のすき焼きより今のおにぎりだ。世の中のニーズに敏感でないデザイナーは失格だと言われたようなもの。
さてその「おにぎり」だが、以来私は、モノづくり(デザイン)とは「お母さんのおにぎり」のようなものと思うようになった。母親が子供のためにおにぎりをつくる時、大抵の場合、材料はあり合わせである。が子供の好みは熟知しているし、手の大きさ口の大きさ、食べ方まで全て知り尽くしている。そして子供の食べている状況や喜ぶ顔を思い浮かべながら、堅過ぎず柔らか過ぎず「心を込めて」にぎる。
だから子供は、母親のつくるものに絶対の信頼をおいているのだ。そしてそのおにぎりが毎日のお弁当なのか遠足や運動会のものか、何時何処で食べるかによって母親はおにぎりの種類とつくり方を変える。まさしくこれは「マーケットイン」そのものと言ってよい。
まもなくして90年初頭、日本のバブル経済がはじけた。そしてホンダはヒット商品をもたない辛さを、いやと言うほど味合うことになる。NSXもビートも徒花となった。
どん底の状態の中で、「次は失敗しないぞ」と心に言い聞かす。しばらく後、「RVを一日も早く」というお店からの悲痛な声に答えるべく「ホンダオデッセイ」の開発にその想いをぶつけた。気持ちははやるものの、人も、金も、技術も、つくる工場も思うようにならない「ないないずくし」の中、よく「お母さんのおにぎり」の喩えを出して、若い連中と励まし合った。オデッセイは「お母さんのおにぎり」にあったのかも。

2007年10月20日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第41話.「金縛り」

デザイン室に来られた本田さんが、「あの車どう?」と切り出された。状況からみて、「ホンダプレリュード」の対抗馬としてN社から出たスポーティカーだと察しがついた。私も気になってはいたが、そう思いたくない気持ちが強く働いていた。
そこで、「思い切ったところがないので、心配はないと思います」とつい口にしてしまった。本田さんは「そうは思わんがね。あの車には何だか知らんがムードがある」と私を睨む。
果たして、何カ月か後には若者の人気がその車に集まり、プレリュードはあっという間に追い越された。以来私は、「ムード」という言葉にとり憑かれる。「ムード」は目に見えない。感じるものだ。私の場合、頭が(我執)が勝ちすぎ感じなくなっていた。
以前、ムードのあるものはファッションをつくる、ファッションのあるものはスタイルをつくる、スタイルのあるものはモードをつくる、そのようなことを本で読んだ。確かに、何かを感じるもの(ムード)は流行(ファッション)し、誰もが真似をして一世を風靡(スタイル)し、それが定着(モード)したところで次の新しいものが出る。
芸能界の新人を見ても、売れそうなのとそうでないのは大体分かる。決して、姿、形だけではない「何か」を感じてのことである。さしずめそれが「雰囲気」とか「オーラ」なのだろうか。どうしたらそれがつくれるのかを探れば、売れる商品を生むためのヒントが掴めるのかも。
「心身一如」という言葉がある。「身体」は見えるが「心」は見えない。心と身体を一つにするには、まず、見えない「心」をデザインすることになる。車なら「ボディ(車体)」と「ハート(エンジン)」。そう言えば、「ハートのある車をつくろうよ」と強がっていたこともあった。
「気」の道場の先生から、人間の全エネルギーの6割は頭が使う。残った4割で首から下が働いている、との話を聞いた。人は「大変だ」と思った瞬間、首から下の4割のエネルギーが一斉に「頭」の方へ駆けつける。頭に全てのエネルギーが集まった状態を「金縛り」と言う。いわゆる、「身体」が動かなくなること、「五感」が全く働かなくなることだ。
ムードが感じられなかったのは、こういうことだったかと思い知った。「五感」で感じたものが「心」に伝わり、「発意」が生まれる。瞬時に身体が動く。こうしたことの回数が多いほど、ムードが感じられオーラが強くなるような気が、このところ夙にしている。

2007年10月12日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第40話.「デザインは性能なり」

4代目「ホンダシビック」のデザインをしている時、派生機種の一つ2代目「CRX」のクレーモデルを眺めながら、「このクルマは性能がいいだろう」と本田さんが。「そのように頑張っています」と答えると、「そうだよね、格好のいいのは、性能がいいんだよ」と続けられた。
格好のいいのは性能が良く、性能がいいものは技術が良い。技術の良いものはそれをつくった人が良く、人が良いのはその人の考え方、すなわち心が良いからで、「格好がいい」とはそう言うことなのだと。以来私は、「デザイン」とは「商品」そのもの、「企業の顔」だと考えるようになった。
「顔に出る」という言い方がある。体の調子が悪い時や心に悩みのある時、すぐ顔にでる。が、心身共に健康で、夢に向かって情熱をもって挑戦し続ける人の顔は、ほれぼれするほど色艶が良く輝いている。「自分の顔に責任を持て」とも言われるように、ある年令になると、何のために生きているか社会での存在意義や他人との違いを求められる。
今風に言えば「アイディンティティ」、顔付からそれらを感じ取れると、「いい顔してるね」となる。知識や技術を高めることは大切だが、中には自惚れる人もいて、自分のことしか考えない「我利我利亡者」になる。こうなると恐がって誰も寄りつかなくなり、ついに「貧相な顔」になってしまう。
人は、実力や自信がつくほどに他人を思い、世のため人のため心を配ることが肝要。こうした人の顔は見ているだけで気持ち良く、心が安らぎ、ずっとそばにいて欲しいと思う。まさしく「徳のある顔」である。
デザインも同じこと、日々の精進なくしてはあり得ない。つけ焼き刃の厚化粧や派手な着飾りでは、すぐお里が知れるしメッキが剥げてしまう。個人や企業、地域や国、身体の大きさは違っても「顔」は大切である。
企業でも「いい顔」をつくるには、まず企業が心身共に元気であること。そして、従業員の資質、技術力、生産力、販売力、管理能力、経営陣の決断力などを総合力で「商品」に顕現し、それを通じて「企業の考え」を表明して行く。「デザインは企業のメッセージ」と言われるのはこのためだ。そう考えると、企業では従業員はみなデザイナーであり、経営者はさしずめチーフデザイナーと言うことになる。
しばらく経って2代目「CRX」が発売された。その時つくられたキャッチコピーが、「デザインは性能だ」であったのはまことに印象深い。

2007年10月09日

Ⅲ かたちはこころ-本田宗一郎がくれた千字薬-第39話.「再び、マネすんな」

初代「ホンダレジェンド」の前回りのデザインを見て、いきなり、「マネすんな」と本田さんに厳しく。顔は、人はもちろん車にとっても大切なもの。ことに、レジェンドはホンダの旗艦車種、独自性や最高の技術が期待される。当然、他社車の真似など許されるものではない。と、そう思ってやってきた。
この10年あまりで、「N360 」から「シビック」そして「アコード」と、「先進性」と「スポーティさ」で、次々と人気車を世に出してきた。だが、中身(質)はどうかと言うと自信はない。いっぱしのデザイナーになったつもりでいたが、この先、これまでの延長線ではとても無理だと感じ始めていた。「マネすんな」は、胸にぐさりと刺さる。
学習」の「学ぶ」は、「真似る」が語源。人は小さい頃は両親、長じては先輩や先生を真似ながら大人になる。「写生」は自然をそっくりに写すこと。「模写」は先輩の作品を正確に再現することを言う。いずれも徹して真似することだ。それを懸命に繰り返すうち、「なぜ?」「どうして?」と対象の本質に迫り、いつしか「真に似る」ことができる。
「習う」の語源は、「馴れる」。同じことを何度もやるうちに馴れてきて、目を瞑ってできるようになると独りでに自分のものになり、これを「身につく」とか「板につく」と言う。身に付くとは着物を上手に着る工夫を繰り返すと着物と身体が一体になること、板に付くとは能や歌舞伎で練習を重ねると板(舞台)が自分のものになること。
このように優れた手本を「真似」て身体で覚えるまで「馴れる」ことを「学習」と言う。生半可な努力でできることではない。まずは良いお手本を見つけ、それをもとに学習を重ねることで基礎が身に付く。その上で初めて、その人なりの個性がつくり出される。 
マネは先人を追随するだけではないかと。が、真似るものがあることは、積み重ねられた伝統があるという証明。マネしてもなお自ら出てくるものが「真の個性」なのだ。「もの真似も極まれば、独創に繋がる」と世阿弥は言っている。
「レジェンド」は、アメリカで新しい販売チャンネル「ACURA」をつくり、独自の「ニヤ・ラグジュアリー・カーの世界」を生みだした。高級感はまだまだだが、「何かのマネだ」とは言われない。本田さんから「マネすんな」と言われて初めて「真似」とは何かを知るようになった。若い連中には、できるものなら「マネてみろ」と檄を飛ばしている。


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