様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
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2008年04月30日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)          第17話.おんもらデザイン

本田さんがデザイン室に現れ、「この形は『おんもら』していていいね。」と。ほぼ仕上がってきた初代「ホンダシビック」のクレー(粘土)モデルを見ながらの話である。私には「おんもら」という言葉の意味がよく解からなかったが、誉めてもらったに違いないようだ。
形には、「盛ってつくるもの」と「彫ってつくるもの」がある。「盛る」方は粘土でつくった「原型」から雌型を取り、そこに青銅を流し込んで雄の「形(ブロンズ像)」をつくる。「彫る」方はギリシャ彫刻のように「たがね」や「のみ」、それにハンマーを使って大理石から直接「形」を彫り上げるやり方。日本でも、盛ってつくる漆像、彫ってつくる木像がある。
鋳造法やプレス法が発達し大量生産の世の中になった現在でも、その原型となるマスターモデルは「一品生産」。盛る、彫る、の二つの方法を組み合わせてつくられる。我々のつくるフルサイズのクレーモデルも一品生産だが、いずれに属するのだろうか。
この頃ホンダのデザイン室では、彫刻家用の「桂」という緑がかったダークグレーの粘土を使っていた。この粘土は常温で適度な軟らかさが保てるので、機械や道具を使わず、大まかなところは「手のひら」で細かいところや仕上げ段階では「親指」で盛り付けてゆく。どちらかというと盛る方法と言える。
一般的な車のモデルづくりは赤茶色をした「インダストリアルクレー」を使う。このクレーには蝋(ろう)が沢山混ぜてあるから、常温では固く指で形をつくることは出来ない。オーブンで暖めて柔らかくし大体の形に予め荒く盛り付け、冷えて固まったところで道具を使って削り出す。だから、こちらは粘土細工ではあってもむしろ彫るに近い。
双方のやり方は、でき上がる形に自ずとその特徴が表れる。粘土を盛る方は、手の平や指の形のもつ軟らかさや動きに大いに関わり、人間の身体に近いカーブや面が自然に出来るようだ。それに対して粘土を彫る方は、道具をうまく使えば、人間が頭で考えるどんな形状でも人工的につくることが可能である。私は、前者からは「暖か味」を、後者からは「冷たさ」を感じていた。
バイクのデザインをするのに先輩たちが、いろいろと試行錯誤のすえ選んだ粘土の種類とそのつくり方のお陰で、「シビック」の暖か味のあるデザインが出来たのだと思うと、大変有り難いことである。「おんもら」を私は、「暖かみ」とか「柔らかさ」という風に捉えるようになっていた。

2008年04月23日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)          第16話.シンプルbutチャーミング

「オリジナル案」で行こうと決まったものの、このままではコストは下がらない。そこで「コストダウン案」の検討の中で、外観に大きく影響を及ぼさないアイデアは全て盛り込み、価値を下げずにコストをとことん攻めた。
次に外観を高価そうに見せるアイデアとして、ボディの肩口に工夫した大胆なキャラクターラインや、ボディセクションの中程に加えた強いえぐり断面などを「オリジナル案」に移植する。
さすがにこれ以上は無理だというところまできて、ならばこの車ならではの魅力を引き出そうと、価値を一気に引き上げるための手法を探り始めた。こうした中、これまで進めてきたインパネ(インスツールパネル)のデザインを、思い切って全面的にやり直すことにした。
内装デザインのPL(プロジェクトリーダー)が、コストの安い張込みタイプのインパネ(当時は成型インパネが一般的)を意識し過ぎ、ありきたりのデザインになっていた。「やり直し」決定で頭にきた彼が、そのインパネモデルを居住性検討用のパッケイジ(室内空間用)モデルから取り外すと、パッと前が開け新しいイメージが浮かんだと言う。
その開放感を生かして、インパネモデルを支えていた棚にナナハン(CB750)のメーターを取り付けたら、なんとユニークで機能的なインパネが生まれた。棚の上にメーターを並べただけなので「トレー・インパネ」と呼ぶ。「シンプルbutチャーミング」というコンセプトも、この土壇場の中で生まれた。
これに自信を得て、「魅力価値」検討はさらに続けられる。この手の難しいことを考える時は、「桐壷(旅館)に行って」がこの頃のチームの合い言葉。座敷の壁をビラだらけにして徹夜の激論。そして生まれたのが、テールゲート、ディスクブレーキ、リアワイパー、アメリカ輸出用の大型バンパーなどを採用した「GLタイプ」。この話は、「桐壷事件」としてその後語り継がれることに。
こうして、GLタイプは出でき上がった。が結局、重量が30キロ以上も重くなってしまい、またまた「ゼロ式戦闘機」に逆戻り。が誰も、デザインを「コストダウン案」に戻そうともハッチバックをやめようとも言わなかった。自ら背負った二重苦を撥ね返す勢いで、開発は最終段階に向かって進んだ。
肝心のシビックの重量は、最終的にシリーズ平均で620キロ。一番軽いスタンダート(2ドア)は605キロ。GL(3ドア)は、目標の645キロ超え650キロとなった。

2008年04月16日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)          第15話.ジャンケンポン

各機能ブロックのPL(プロジェクトリーダー)が集められ、「コストが、目標値におよそおさまっていない」との説明を受けた。内外装のデザインがほぼま纏まり、それに基きコスト計算を進めていた時期である。
その日から毎週土日、駐車場に建てられたバラックで「グラム作戦」が実施された。この頃ホンダでは、「コストは重量に比例する」というのが基本の考えであった。「ゼロ式戦闘機」も、こんな風にやっていたと聞く。
バラック内にはシビックの部品が全て並べられ、研究所常務が閻魔様みたいにデンと座り、それぞれの部品に目標削減重量を割り当て、秤の上にハーネス(電線)など部品を乗せては「何グラム減らせ」と指示をする。それで、ハーネスが何ミリ短くなったとか、エンブレムが何グラム軽くなったとなると、「褒めてやる」と言って駅前の鮨屋に連れて行ってもらった。
何日もこんなことを繰り返し最後に、個々にはやり切ったとする全部品を積み上げてみると、競合車と目している「パブリカ」と同じ値段ではとても売れないことが分かった。そこでやむなくもう一案、「コストダウン案」と称するモデルをつくってみようという話になる。
重量を下げると同時に、部品点数や工数を減らしたり安い材料に置き換えたりして、目に見える部品はほとんど一から設計をやり直す。そして、悪戦苦闘の末にモデルがもう一つでき上がったのだが、チーム内では即座にこれで行こうという話にはならず、どちらにするかは評価会で決めてもらうことになった。
評価会の席でも、「コストダウン案は、いかにも見窄らしい」との意見と、「オリジナル案が良いと言うが、コストの方はどうするんだ」との意見が対立、平行線のまま何時間も堂々めぐりで埒(らち)が開かない。多数決で、ということなったが、これも同数ぐらいで決め手にならなかった。
議論が出尽くしてとうとう、「君はどうなんだ」と私の方にお鉢が回ってきた。「両方とも自分たちがつくったものですから、どちらも可愛いんですが、個人的にはオリジナル案の方が好きです。でも、コストのことを言われると、どうも…」と答える。
続けて、とにかく早く決めてもらわなければと半ば開き直って、「…と言うわけで、あとは評価委員のみなさんのジャンケンで決めて下さい」とお願いした。みんなが思わず吹き出して場が和んだ。それがきっかけとなって、「コストはともかく、オリジナル案で行こう」との判断が下る。

2008年04月09日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)          第14話.ワンカラット

初代「ホンダシビック」の開発も1971年に入り、基本レイアウトやクレイモデルの基本線数値をもとに、主要機能部品(エンジン、足回り、艤装、電装などの基本コンポーネント)の設計が急ピッチで進められていた。
テスト屋(エンジン性能)の担当の一人が、しょっちゅう設計者の描くレイアウト図の前にやって来て、「こんなんじや、駄目だ、駄目だ」と言って喚いている光景は、みんなのよく知るところであった。
こうした彼の「いちゃもん」は相当うるさかったが、その「一言」には迫力があったと誰もが認める。「一緒にチームを組んだ設計屋の出来不出来で、この先3年、楽ができるかどうかが決まる」と言うのである。なるほど尤もなことで、卓見だと思った。
 確かに、テストで問題を発見したという「結果」よりも、問題が起こらないように上流できちっと設計する「過程」の方が重要で、そのためにもっと「源流」の考え方、すなわち設計コンセプトに遡る必要がある。だから、彼がレイアウトを見れば分かると豪語するのも得心できた。
こうした自由闊達で、カラッとした雰囲気が良かったのだろう。後に「ワンカラット」と呼び、何があってもあとはカラッと、というホンダの企業風土に繋がったのもこうしたところにあった。
やっと一つの問題が解決したと思ったら、またどこかで誰かが「エンジンの巾が大きくなり過ぎだ」などと騒ぎ出す。すると、みんなでエンジン屋のところへ飛んで行ってガンガンと鬩ぎ合う。
こんなことは日常茶飯事で、「ああじゃないか、こうじゃないか」と言いながらも、チーム全体が「独立懸架でいこう」「ストラット・サスにしよう」「衝突安全が最優先」などという共通の拘りを持ち、お互いサポートし合いながら、「しこしこ」とものにしていった。
喧嘩しながらも、みんなで一つの「ありたい姿」を共有できたあとは、それぞれが自分の部署で、「ホンダとして一番良いものを」と思い切ってやることが出来た。チームが一丸となれたのは、みんなが自分の領域に閉じこもらなかったからだ。「我がものと 思えば軽ろし 笠の雪(其角)」と誰かが言った。
共通の高い目標を持った人たちが集まり、平等精神で明るく、ムンムンカッカと議論を重ねるうちに、既成概念を打ち破る創造のエネルギーが生まれ、これまでにないアイデアが創出されるという風土が育った。ワイガヤ(ワイワイガヤガヤ)というホンダカルチャーも、原点はここにある。

2008年04月02日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)          第13話.銀座4丁目

1/1レイアウト図を前に激論が続く。初代「ホンダシビック」の開発は、そろそろハード(機能)部分の細かい詰めに入っていた。とにかく、この頃ハード面で一番苦労したのは、限られた小さなスペースの中に、入れたいもの全てを如何に押し込むかということに尽きる。
この頃の車のガソリンタンクは、トランクの中に入っているのが常識であった。が、シビックでは思い切って、リアシート(後席椅子)の下に配置することにした。
リアシートを取り付けるリアフロア(後部床)には、ホイールハウス(泥除け)とサスペンション(衝撃吸収装置)とタイヤが付き、さらに後方にはトランクがある。この賑やかさは、まさしく「銀座四丁目の交差点」であった。
が、土地代がどんなに高かろうと、チームのみんなが「小さい車の衝突安全」に強く拘っていたことから、ガソリンタンクの置場所は、追突の衝撃を受けにくい後席の下以外に考えられなかった。
シビックが採用したリアサスペンションは、コイルスプリングを使った独立懸架のストラット方式で、後席の下にガソリンタンクを配置するとサスペンションにスペースを取られ、タンク容量が相当犠牲になることがレイアウト検討の過程で判明した
が、その対策で、ガソリンタンクを後方にもっていくとスペアタイヤが入らなくなり、前方にやると後席の足を置くスペースが犠牲になる。これら全てを満足させると全長が長くなってしまう。
長くしたくないとの暗黙の了解が、みんなの間ですでにあったから、居住性、トランク、ガソリンタンク、サスペンションのそれぞれの担当者が四つ巴になり、たちまち激しいスペースの取り合いになった。
「欲しいスペースは自らの手で」となると当然、受け身では駄目。誰もが専門を超えて、「エンジンとは」「サスペンションとは」などと他人の領分まで口を出した。強い信念と合理性を持たない主張は、無視され放り出されてしまう。いろんなところでぶつかりあって、その度に勉強になった。
自分の専門領域に対して、素人がいろいろ口を挟むのだから、最初はみんな嫌ったり怒ったりで議論が滞った。が、次第に、誰もムキになったり腹を立てたりはしなくなった。
異質の人、それも同じ立場の連中の、違った角度からの「なんだかんだ」の中に、新たな閃きを生むきっかけが潜んでいると気が付いたからだ。またチームプレーでは、高い共通目標をもつことが如何に大事なことであるかを学び取った。


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