様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
時代は「編集」を求めている。
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2008年05月28日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)           第21話.現適1号

所長室に来るようにとの連絡が。これはまた何かポカをしでかしたかなと心配しながら行ってみると、呼ばれたのは私だけでなく、足屋(サスペンション担当)のPL(プロジェクトリーダー)も一緒だと判った。妙な組み合わせである。
「ヨーロッパに行ってもらいたい」と研究所所長から切り出された。飛び上がるような気持ちを抑えて、お互い顔を見合わせにんまり。私にとって初めての外国である。初代「ホンダシビック」のヨーロッパ仕様の試作車1台は既に船便で発送済みとか。
1972年の初秋、シビックはすでに日本での発売を開始し、3ドアGLがこれからという頃。我々の役目は、後に呼び方の決まった現適(現地適合性検定)の第1号である。この頃外国出張はまだまだ珍しく、羽田空港(成田空港はまだなかった)には室長ご夫妻をはじめ、ほとんどの室員が見送りに来てくれた。
現適会議の場所はパリである。羽田からアンカレッジまで飛び、一度休んだあと再び北極を越えてアムステルダムへ、また、しばらく休んでパリへ向かった。もちろんエコノミークラスで20時間を超える空の長旅。
オルリー空港には、サービス部のS担当が「BMW2002(3シリーズの前身)」で迎えてくれた。当時のヨーロッパでは、マネジメントクラスの憧れの車である。私もすいぶん模写をした車だが、彼はさすがサービス担当、すばらしい運転テクニック。「凄いね」と褒めたら「ここじゃ、女の子でもこんなもんだよ」と。
まずは腹ごしらえにとレストランへ。「飲み物はワインにするか、水にするか」と聞かれてびっくり。真っ昼間のこと結局、真っ赤な顔でフランスホンダの事務所に行く羽目になった。次の日からパリ郊外で試乗会が行われる予定。ホテルにはヨーロッパ各国から続々と、営業とサービスの担当が2人組で参集してきた。
同行の先輩から「君は試乗会よりパリの街をよく見といた方が、この後の内外装色や仕様装備を決めるのに役立つんじゃないか」との有り難い提案。これ幸いと、若い営業担当の運転で街を一日中走ってもらった。エトワール広場のロータリーなど、一度入ったら出られないだろうと思うくらい度胸とテクニックで、しかも若い女の子までぶっ飛んで走っている。
一日中動き回って判ったことは、同じ都会とは言っても、日本の中でたとえると東京ではなく大阪だろうなと。関西育ちの私にとって何となく肌に合い、一日でこの街が大好きになってしまった。

2008年05月21日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)                      第20話.「ハワイへ連れてってやる」

「これが成功したら、全員ハワイヘ連れて行ってやる」と、研究所常務がチームメンバーを前にして。商品の形がだんだん見えてくると、「本当に売れるのか」などと余計な心配をはじめ開発も一寸中だるみ状態。そこへ、「憧れのハワイ」である。みんな急に元気が出た。大げさでなく、その勢いで開発が完了できたのは確かだ。
発売後の、初代「ホンダシビック」の評判は上々。「もしかして」と期待したが、結局「ハワイ」へは連れてってもらえず、その代わり、打ち上げは池袋のキャバレーに。店の名前が「ミスハワイ」であったかどうか…
何しろ、「ハワイ」が「ミスハワイ」になってしまい、その負い目もあってか常務は、「シビックのデザインはこいつがやったんだ」と、盛んにホステスさんに宣伝してくれた。彼女が「シビック」の名前を知っていたのには大感激。が、「その車、安いんでしょ」の言葉にたちまちがっくり。
常務は、「安いけど、格好はいいよ」と一生懸命持ち上げてくれたが、「でも、尻尾がないのよね」との追い打ち。彼女に言わせると、「クラウンは尻尾が長いでしょ。コロナはちょっと短くて、カローラはもっと短いでしょ。軽自動車は全然無いし、だから安いのよ」だった。
そのくらいこの頃、少なくとも女性には、「尻尾のない車」は相手にされなかった。ヨーロッパでは既に市民権はあったが、日本では「パブリカ」でさえ短い尻尾があったし、「チェリー」も僅かに付いている。それが、「すぽーん」と無いのだからホステスさんの言うのも尤もだ。
「尻尾無し」を何とかして世の中に訴えようと考えていた矢先、シビックの発表会や試乗会の記事が載った自動車雑誌が一斉に発売。ほとんどの雑誌が、我々の意図やシビックのコンセプトを的確に書いてくれていた。インタビューされたチームメンバー全員が口を揃えて、熱っぽくシビックについて語ったからだ。
ずんぐりむっくりの無理矢理の納得や、桐壺での開き直りのアイディア出しなど、苦しい開発の中、開発メンバー一人ひとりが逃げずに自らを追い込み、自分自身に言い聞かせ、周りを説得しながらの過程がなかったら、この成功はおぼつかなかったであろう。
30歳前後のメンバーが全員、広報活動の先兵を努めたのだ。苦労話や自慢話が「シビック」の「開発ストーリー」となり、そのままお客さんに届いたのである。オピニオンリーダーの「団塊の世代」が、これら雑誌記事に共鳴し手に入れ満足してくれた。

2008年05月14日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)             第19話.3つ目のドア

開発チームは、初代「ホンダシビック」のテールゲート(後部扉)がついたタイプを「3ドア」と呼んでいた。企画段階で、私が評価会用に描いたイメージスケッチはテールゲートが大きく開いたものであった。が、評価委員の中には、これ「バン(貨客車)ですか」と質問した人もいて、乗用車と見てもらえなかったようだ。
開発段階に入って、テールゲートタイプは強度の確保や音・振動の対策のため、重量・コストが大幅にかさむことに加え、この手のタイプが、まだ一般的でない日本の市場を、よく見極めた方がよいという判断で、トランクタイプのベース車の開発を先行していた。
欧米に駐在している仲間からは、「アメリカにもこんなもの(3ドアタイプ)が出たよ」と写真を送ってくれたり、「ヨーロッパでもこの手が売れている」と手紙を寄こしてくれたりと。新聞広告や雑誌記事、中には自分で撮った写真に細かく解説を入れたものまであり、気持ちがよく伝わった。
たとえば、「スーパーマーケットのグローサリーパック(食料雑貨類の買い物袋)を入れる時は、ここ(テールゲート)が開かないと積めない」とか、「水を買いに行く時(ミネラル・ウォーターの大瓶、8~10リッター程度)には、たいへん便利」などと、当時の日本ではとても考えられないコンセプトが欧米双方から持ち込まれる。
音・振動、重量・コスト、臭いや雨漏れなど、開発チーム泣かせの難題が重なる中、勇気付けられる嬉しい話だった。チームの連中も、このタイプがこれからのトレンドになるのではとの確信が、だんだんと強くなっていく。
発売に先だって、国内営業の人達に商品を説明する会が開かれ、その時ある営業マンから、「3ドアって、どっち側のドアが2枚なんですか?」と言う質問が出た。開発メンバーはきょとんとしたが、よく考えると、このように思う人がいても不思議ではない。
「3つ目のドア」をどのように表現するか、どのように訴求するかについて余程うまく考えないと、と言うことになった。こんなこともあって、「ハッチバック」という名称が採用された。「hatch」とは、船の甲板の昇降口についた蓋のことである。
さて、今どきこんなに素直に、しかも臆せず、このような質問の出来る人は果たしているだろうか。我々のつくった車のことをよく知りたいと、一心に思っての質問であったろう。その質問の主である営業マンはその後、本田技研の会長職まで昇り詰めた方である。

2008年05月08日

Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック)          第18話 GLタイプ誕生

初代「ホンダシビック」の開発は大詰めを迎えていた。先述の「桐壷事件」で、テールゲートの付いた新しい派生機種「GLタイプ」をつくり始めた頃である。これしかないと開き直り、「やってみよう」となったものの、ここに至って工数の余裕など全くない。
それでも、チームのみんなが最初からこのタイプをつくりたかったことや、これなくして、シビックの活路はないとまで思い詰めていたこともあり、難しいとは思いつつも、「出来ない」とは誰も言えなかった。これまで、こうした難関をいやというほど経験してきたが、それらを切り抜けた時の感動は忘れられない。今回もそんな予感があった。
時間もお金もない中でチームは、これまで進めてきたトランクタイプ(2ドア)の金型をそのまま使って、2ドアのリヤウインドシールドライン(後部窓枠の線)を見切り線とし、ガラスとトランク蓋を一体にしたテールゲートを跳ね上げ開くように工夫。テールランプも2ドアのものを流用する。このようにしてチームは、「テールゲートタイプ」の実現を計った。
実は以前から、いつでもテールゲートタイプが出来るようにと、この方法を密かに考えてはいたが、実際にやってみると、思っていたほど簡単ではなかった。強度の問題やヒンジの取り付け方、それに伴う後方視界の問題、これらの解決のためにいろんな工夫が必要となる。テールゲートのサッシュモールもそうであった。
普通、蓋もの(ドア、ボンネット、トランクなど)の縁は、「ヘミング処理」と言って、外板の端を折り曲げ内板の端を挟み込んで結合するのだが、これをやると、サッシュの巾が太くなって後方視界をそこなってしまう。やむを得ず内板と外板の2枚の鉄板を、ヘミング処理をやめ、溶接で結合してみようと考えた。
そして切りっぱなしの端面や、スポット溶接の打痕で見苦しくなった部分を隠すために、ステンレスの光ったモールを被せるという妙案を捻りだす。ところが、この巾をどうしても細く出来ない。
しかたなくシールラバーを太めにして、少しでもモールの方が細く見えるようにと努力した。結果的にそれが、テールゲートのイメージを強調するのに大きく貢献することになる。  
試作車が大急ぎでつくられた。ステンレスモールが光るテールゲートがパーンと開いた時には、さすがに「してやったり」と、設計担当と二人でにんまりしたものである。この大変さの中で、「想いは必ず実現する」、を実感した。


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