Ⅳ CIVICデザイン物語(初代シビック) 第20話.「ハワイへ連れてってやる」
「これが成功したら、全員ハワイヘ連れて行ってやる」と、研究所常務がチームメンバーを前にして。商品の形がだんだん見えてくると、「本当に売れるのか」などと余計な心配をはじめ開発も一寸中だるみ状態。そこへ、「憧れのハワイ」である。みんな急に元気が出た。大げさでなく、その勢いで開発が完了できたのは確かだ。
発売後の、初代「ホンダシビック」の評判は上々。「もしかして」と期待したが、結局「ハワイ」へは連れてってもらえず、その代わり、打ち上げは池袋のキャバレーに。店の名前が「ミスハワイ」であったかどうか…
何しろ、「ハワイ」が「ミスハワイ」になってしまい、その負い目もあってか常務は、「シビックのデザインはこいつがやったんだ」と、盛んにホステスさんに宣伝してくれた。彼女が「シビック」の名前を知っていたのには大感激。が、「その車、安いんでしょ」の言葉にたちまちがっくり。
常務は、「安いけど、格好はいいよ」と一生懸命持ち上げてくれたが、「でも、尻尾がないのよね」との追い打ち。彼女に言わせると、「クラウンは尻尾が長いでしょ。コロナはちょっと短くて、カローラはもっと短いでしょ。軽自動車は全然無いし、だから安いのよ」だった。
そのくらいこの頃、少なくとも女性には、「尻尾のない車」は相手にされなかった。ヨーロッパでは既に市民権はあったが、日本では「パブリカ」でさえ短い尻尾があったし、「チェリー」も僅かに付いている。それが、「すぽーん」と無いのだからホステスさんの言うのも尤もだ。
「尻尾無し」を何とかして世の中に訴えようと考えていた矢先、シビックの発表会や試乗会の記事が載った自動車雑誌が一斉に発売。ほとんどの雑誌が、我々の意図やシビックのコンセプトを的確に書いてくれていた。インタビューされたチームメンバー全員が口を揃えて、熱っぽくシビックについて語ったからだ。
ずんぐりむっくりの無理矢理の納得や、桐壺での開き直りのアイディア出しなど、苦しい開発の中、開発メンバー一人ひとりが逃げずに自らを追い込み、自分自身に言い聞かせ、周りを説得しながらの過程がなかったら、この成功はおぼつかなかったであろう。
30歳前後のメンバーが全員、広報活動の先兵を努めたのだ。苦労話や自慢話が「シビック」の「開発ストーリー」となり、そのままお客さんに届いたのである。オピニオンリーダーの「団塊の世代」が、これら雑誌記事に共鳴し手に入れ満足してくれた。






