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2009年05月27日

Ⅴ ACCORDとその仲間たち                第20話.二刀流

年に一度の商品戦略会議の席で、4代目「ホンダアコード」のエンジンをどうするかで議論が伯仲。
開発部隊が押す「縦置き5気筒エンジンに全面的に切り替え」案に対し、「横置き4気筒エンジンは、アメリカはもとより世界中で定評がありコストパフォーマンスも高い。しかもさらに進化の可能性もあり、したがって残すべき」との、北米営業部隊からの強い要望。それに「一気に新しいものに切り替えるのはリスク大」と懸念する生産部隊の強い意見も。 
議論を重ねた結果、横置き4気筒の継続進化と縦置き5気筒の新規革新の両方を採用することに決まった。まさに、宮本武蔵の「二刀流」である。さらに、横置きエンジンのシリンダーブロックなど鋳鉄部分を、全てアルミ化するという大幅な変更も決定される。
アコードはホンダにとって基幹車種、日本でもアメリカでも生産されている。この大幅変更は、日米で同時にという離れ業の大仕事となり、その結果、シリーズ全体の投資額は1000億円を超える膨大なものになった。
この頃国内では、ホンダの年齢別販売分布は30前の若い世代に著しく傾斜。つまり、若い頃はホンダ車に乗っていても、ある年齢を越えると他社の車に乗り換えられてしまう。そういうお客さんを引き留めることが出来れば、シェアの拡大が十分望めるという期待があった。
こうした背景から、日本向けには「横置きFFのアコードとアスコット」「縦置きFFのインスパイアとビガー」の二組の双子が誕生し、でき上がったばかりの三つのチャンネルで、それぞれ違ったセダンを売ることになった。クリオ店にアコードセダンとインスパイア、プリモ店にはアスコット、ベルノ店にはビガーという具合である。
アメリカは、好調な販売をさらに強化し、オハイオの生産拠点を常にフル稼働させることを主眼に、「横置きFFのセダンとクーペ」という組み合わせで4代目アコードシリーズは構築された。少し遅れて新たにワゴンを加え、さらに盤石なものとする。
こうした大展開は、日本では、インスパイア/ビガーの活躍により、マークⅡの寡占状態にあった小型上級クラスに食い入ること繋がった。またアメリカでは、単一機種ナンバーワンの販売を達成し、この4代目でアコードの名は不動のものになる。
しかしその反面、このような車種の増加は専用の部品や組立工数の増大に繋がり、4代目アコードは、生産上の困難や大幅なコスト上昇の要因を抱えたままの船出となった。

2009年05月24日

Ⅴ ACCORDとその仲間たち(インスパイア)           第19話.乾坤一擲

休日だというのに研究所幹部が集まり、4代目「ホンダアコード」の企画で激論が続く。私は、AST(オートモティブ・ストラテジー・チームの略)委員長として会議の座長を務めていた。
80年代のホンダは、アメリカでの自動車生産を開始、2代目「ホンダプレリュード」や3代目「ホンダアコード」の好調などフルラインアップお確立、さらには10数年ぶりに復帰したF1レースの連戦連勝などによって、順風満帆の発展を続けている。企業イメージもまた、「スポーティな走り」や「都会的なセンス」と、良いイメージができ上がりつつあった。
が、FFレイアウトや排気ガス規制対応など、これまで培ったホンダの技術的アドバンテージは他の追随を許すところとなり、予想される熾烈な競争の中で、どのような独自性が保持できるかが課題であった。
また、これほど頑張っても、国内販売が7~8%のシェアで留まっているのも気になるところ。研究所の連中にとっては、商品力主導でホンダの拡大発展を牽引してきたとの自負もあり、議論にもその気負いが感じられた。
そんなところから、4代目アコードの先行研究の中で、革新的な縦置きFF(前輪駆動)の5気筒エンジンの構想がもち上がる。これは従来の横置きFFの車より前後の重量配分が理想に近づき、新しい走りの世界がつくり出せる予感があった。また、「5気筒はF1の10気筒エンジンを二枚おろしにした」というエンジン屋の説明にも、何やら感じるものがある。加えて、そのレイアウトからくる「新しい骨格」にも大いに魅力を感じていた。
このレイアウトをもとにサイドビューのスケッチを描くと、トーボードからフロントホイールセンターまでの寸法にゆとりが出て、しかもフロントオーバーハングも極端に短くできる。これまでやってきたFFレイアウトでは到底望めない、例えばジャガーのような、風格とスポーティさを合わせもつ新しいセダン像がつくれそうだ。
うまくするとこれを起爆剤に、ホンダも新しい上級車の領域を望めるかも。まもなく実験車ができ上がり、みんなで乗ってみる機会を得た。期待通りの切れ味の良い走りが体感でき、自信を深めることができた。
が、自動車メーカーにとって、新しいエンジン開発は極めて大きな投資になる。開発部隊はそれを承知で、「乾坤一擲」とでも言おうか、このエンジンを4代目アコードに採用したいとの気持を高めて行った。「ドキドキワクワク」の毎日であった。

2009年05月13日

Ⅴ ACCORDとその仲間たち                第18話.いつまで続く

新年に行われる役員懇親会の席で、本田技研会長から声をかけられた。「僕はこのところ、心配で眠れないんだよ」と。この2~3年、やることなすこと当たっている。2代目プレリュードの成功以来、シティ、シビック、アコード、インテグラと立て続けに、だ。
会長は以前、研究所の所長をやっておられ、私も若い頃は随分と目をかけてもらった。そういう気安さも手伝って、「これだけ好調なのに、何が心配でしょうか」とお聞きすると、「その好調が心配なんだ」と。
「これ、いつまで続く?」とさらに迫られた。当面の機種投入計画をお話しして、「…で、大丈夫です」とお答えすると、「そうか」とは言われたが、納得された様子ではなかった。
そして、「お前さん、後継者を育てたかい?」と言われたあと別の席へ。「先のことを、よく考えておけよ」と言われたのだと思う。「いつまで続く?」は、しばらくは耳に残っていたが、会社全体が行け行けドンドンの中、それも次第に薄れていった。
間もなくして、日米が組んで開発を進めてきた2代目「ホンダティ」が、突然の円高で日本専用を余儀なくされ、台数半減によるコスト高が致命傷で、期待に反して不発に終わる。これが躓きの兆しだった。
すぐあとに、シビックやプレリュードという大物モデルチェンジが控えているのをよいことに、目先しか見ないでいた。シティの不振も円高のせいにして、気に止めようとはしなかった。
円高やコストアップによる輸出の不振は、各社の国内市場への押し込みに繋がり、熾烈なパイの奪い合いとなった。そうなるとものを言うのが、デザイン、コンセプト、性能、コストのいわゆる総合商品力である。
しかし、シビックもプレリュードも、さらに続くアコードも、前モデルの好調さが災いしてか、知らず知らずのうちにキープコンセプトになっていた。また、コスト体質も抜本的な対応がなされないままという状況。会長の心配が現実のものとなった。
一度うまく行くと周囲の期待が高まるし、失敗できないと思ってしまう。その結果、慢心したり保守的になったりで、いつしか下降線を辿る。これは、言わば人の「業」であって、だからこそ人間は面白いのだが、会社の場合だとそうは言っていられない。
「転ばぬ先の杖」とは良く言ったもの、が、なかなか出来るものではない。この後まもなく、戦局を打開するための特別チームが設置された。私はこともあろうに、そのど真ん中に身を置くことになる。

2009年05月07日

Ⅴ ACCORDとその仲間たち(3代目アコード)                  第17話.「エアロデッキ」誕生

3代目「ホンダアコード」4ドアセダンのコストを、目標値におさめるため、急遽サスペンションを「ダブル・ウィッシュボーン」から「ストラット」に変更することになり、デザインはその影響で、ボンネットを30 mm高くするための大改修に入っていた。
しょ気切っている私を見てLPLは、「ダブル・ウィッシュボーンは止めずに、目標の性能(ファミリーカーとしての乗り心地とスポーツカーの走破性の両立)を引き出せるまで頑張り続けるから」と言って慰めてくれた。
次の評価会には、サスペンションの変更でボンネットが30 mm高くなったクレーモデルと、数千円下がったコスト表を揃えて臨むことになった。
ところが評価会では、今度は本田技研専務から、「コンセプトに書いてある通りの車にしてよ」と言われ、みごとに評価会は落ちてしまった。両方の頬っぺたを叩かれてしまったことになる。が、よく見てみると今回の企画書の基本コンセプトは、「ダブル・ウィッシュボーン・サスペンション」の時の企画資料そのままであった。
工場に図面を移管する期限も近き、気が気でない毎日が続く。そんな時、密かに進めていたダブル・ウィッシュボーン・サスペンションが、相当いけそうな性能になったとの情報が入る。
次の機種検討の山篭り(検討会)に向かうため、車には本田技研専務と研究所副社長、それにLPLと私が乗り合わせていた。副社長が時を見計らって、「サスペンションをもとのダブル・ウィッシュボーンに変えたいんですが…」と専務に持ちかけてくれた。
「帰ったら乗ってみよう」と言うことになる。山篭りから帰るなりすぐに試乗、たらたちまちOK.。即断即決だった。デザイナーたちは小躍りして喜び、すぐさまボンネットを30mm削り取った。コスト低減にも励みが出る。難しいことへ、敢えて挑戦し続けた成果であった。
こうして復活した「ダブル・ウィッシュボーン・サスペンション」と「30ミリ低いボンネット」は、国内用のニュー・コンセプトカー「エアロデッキ」や、のちに生まれたアメリカ用の「2ドアクーペ」など、スポーティーなバリエーションをつくる土台となる。
そして、この「3代目アコード」は、見事、その年の日本カー・オブ・ザ・イヤー大賞を射止めるに至った。さらに、アメリカではインポート・カー・オブ・ザ・イヤーを、ヨーロッパでは日本車として始めて、カー・オブ・ザ・イヤーの3位に輝いたのである。


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