Ⅴ ACCORDとその仲間たち(初代レジェンド) 第4話.桂離宮と陽明門
「桂離宮と陽明門、どちらが日本的かね」と、本田技研専務との雑談の中で。ローバー社と共同で「エグゼクティブ・カー」の共同開発に着手したばかりの頃。この手の車は、その会社のアイデンティティを表すものでなければならない。
ホンダは社是の中で、「世界的視野に立ち、云々」と謳っている。が、言うまでもなくホンダは日本の企業であり、しかも極めて日本的な意識に溢れた会社だと、私はかねがね思っていた。雑談はいつの間にか、「日本的」を極めるところに「ホンダのアイデンティティ」をつくり上げるヒントがあるのでは、という方向に。
学生の頃、歴史や美術の授業や修学旅行などで、「桂離宮」や「陽明門」について教わってきたが、20年以上も経って、こんな話になろうとは夢にも思っていなかった。それにしても、「桂離宮」と「陽明門」の姿・形は、全く違っている。
これらが400年ほど前の同じ時期に、同じ日本人がつくったものかと不思議に思えるくらいだ。京都の桂離宮は、日本を代表する建造物のひとつで、書院造りの最高傑作とされている。「簡潔さ」の追及を通じて得られた、木造建築の「美」の証(あかし)と言ってよい。もう一方は、徳川家康が祀られている日光東照宮の陽明門。その「華麗な美」は、桂離宮の「簡潔な美」と対照的である。
前者は、貴族階級の優雅さの追及の結果であり、後者は、武士階級の力の台頭の証明であると言えよう。このどちらもが、日本的洗練の極みであることは間違いない。こう言った両極端の「ものごと」のバランスをとり、各々の存在を調和させてきた結果が、日本の文化なのであろうと私は思う。
やはり、我々は「和を以って尊し」とする民族。「華麗」と「簡潔」のどちらもが「日本的」であると言える。専務は、「要は、正反対のもののバランスを極めると言うことかね、これは大変なことだな」と言って出て行かれた。
「相克」という言葉がある。お互いが勝とうとして争うことだが、相手を打ち消そうとするのではなく、自分の中に取り込んでしまうことで、これが「バランス」の取り方の日本的な方法なのであろう。
「レジェンド」の開発中、桂離宮、陽明門ともに訪ねる機会を得た。不思議なことに双方とも、これまで頭に描いていたものと違った印象を受け、どちらも「清らかな」感じがしたのを覚えている。そして、これらに心を動かしているのは、私同様、庶民的な人たちだったのも興味深かった。






