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    <title>□教育は「共育」なり―Navi.岩倉信弥</title>
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    <updated>2010-07-30T10:29:24Z</updated>
    
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２９話．爽快な走り</title>
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    <published>2010-07-30T10:27:29Z</published>
    <updated>2010-07-30T10:29:24Z</updated>
    
    <summary>本格スポーツカーの開発が順調に進み、目標とする性能（250馬力）も、ほぼ達成でき...</summary>
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        本格スポーツカーの開発が順調に進み、目標とする性能（250馬力）も、ほぼ達成できる見通しがついてきた。そんな頃、本田技研社長の新春記者発表のための原稿づくりに手を貸せと、正月休みというのに、都内のホテルに呼びだされた。
ここのところ、ホンダの人気はパッとしない。「らしくない」とか「大企業病」とか言われ始めている。アコードをはじめとする乗用車路線に力を入れてきた結果であろう。そこで社長のスピーチでは、そうしたイメージを一日も早く払拭しようと、ホンダの技術の向かってゆくところを、強く主張していくことになったようだ。
先のことを述べるに当たって、現在ホンダが他に先進し独自性を持っている技術はと言えば、何と言っても「V-TECエンジン」である。議論を重ねて、大筋は「V-TEC技術」を中心に据えた商品展開ということとし、「これからの環境・エネルギー時代に「爽快な走り」を提供するため、「全車V-TEC化」「を主張していく」とのことに基本方針を固めた。
「爽快」については、考えに考え抜いた言葉であったが、案の定、周りからはパンチがないとか、インターナショナルな言葉ではないとの意見がでる。それでもこの時には、「V-TECフィーリング」を表現するのに、これ以上相応しい言葉が見つけられなかった。
ここまでは議論も順調だったが、具体的な話になって、「それにしても、ホンダの走りの象徴とも言うべきスポーツカーに、V-TECがないのはいかがなものか」と言うことになる。
NSXに何としてもV-TECをと、正月開け早々から突貫作業に突入した。チームには、「やった」という喜びと、「本当に出来るのか」という不安が一気に訪れたが、誰もが、これでやっと「魂」が入ったと思ったものである。
V-TEC化は、エンジン性能の向上（250馬力から280馬力へ30馬力アップ）に繋がり、変更は、当然ディメンションやデザインにも大きく及んだが、誰ひとり文句も言わず、むしろこれ幸いと、これまでやり切れずにいたものをどんどん取り入れていった。
デザインでは、特徴であるテールフィンとリアコンビネーションランプの一体デザインなど、この時に生まれた。そしてこの頃、栃木の高根沢新工場には社内公募で手作り名人が集結し、「匠の技」にさらに磨きがかけられていた。アルミ溶接ラインやアルミボディ専用塗装ラインなど、目新しいラインができ上がろうとしている。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２８話．「一念、岩をも通す」</title>
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    <published>2010-07-24T00:10:29Z</published>
    <updated>2010-07-24T00:13:08Z</updated>
    
    <summary>ホンダがつくる本格スポーツカーとなると、この車は好むと好まざるに関わらず、「ホン...</summary>
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        ホンダがつくる本格スポーツカーとなると、この車は好むと好まざるに関わらず、「ホンダの走りを象徴する」ことになる。それを形につくり上げるのだと思うと、身震いがした。裏磐梯のホテルでの企画検討会議は、すでに1週間を経過。
「何」をこの車の「アイデンティティ」とするか、それをどのように具現化するかという議論の中から、「我々は、フェラーリやポルシェのようなスポーツカーメーカーではない。が、F1の覇者であるという自覚をもち事に当たろう」との意志統一ができた。
その覚悟をもとにさらに議論を進め、この車のコンセプトを、「乗用車の快適性と安全性を備えた、世界最速のスポーツカー」と定義づける。いつものことながら、今回はことさら、「志は高く」を誓い合った。
が、手中にある最強エンジンは、レジェンドのV6・165馬力唯１つ。果たしてこのエンジンで、考えているような車が出来るだろうか。運動性能の担当者によると、レジェンドの半分くらいの重量でないと期待する性能が得られないという。またまた行き詰まってしまった。
何日か悶々としている時、チームメンバーの一人である材料研究の担当者が、大型バイクのアルミフレームの写真を持って現れる。「軽くするにはこれしかない」と言う。みんなが目を剥いた。そんな車は世界中捜してもない。
さらにそこへ、長い間小さいエンジンをリアフロアの下に置くコミューターを研究している担当者から、「二人乗りのミッドシップにしたら」、との提案が。「大きいエンジンでもやれるの？」と、半信半疑で誰かが聞いたが、「2人のりのF1だよ」の言葉に納得。これが前へ進むきっかけとなった。
エンジンも、５割増しの「250馬力」にと高い目標を立てる。こうして、初代レジェンドのV6エンジンを使った「ミッドシップエンジンレイアウト・アルミエンジン・アルミボディの超軽量・2シータースポーツカー」の構想がまとまる。
いくらのコストで出来るのか、また売れるのか見当もつかなかった。が、これ以外ないというほど議論を尽くした。決め手は「ホンダらしさ」、すなわち「アイデンティティ」。こうして企画は乗せ上がった。
この後の技術的展開は、私の役目でないので省略する。が、アルミボディとミッドシップ・エンジンレイアウトという未知への取り組みは、その後、オールホンダを巻き込む大仕事となったことだけは言っておこう。「一念、岩をも通す」の喩えである。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２７話．本格スポーツカー</title>
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    <published>2010-07-16T00:02:44Z</published>
    <updated>2010-07-16T00:04:56Z</updated>
    
    <summary>久しぶりに、本田さんが研究所に見えた。最新のモデルをご覧になりたいとのこと、私は...</summary>
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        久しぶりに、本田さんが研究所に見えた。最新のモデルをご覧になりたいとのこと、私はその役目を仰せつかる。デザイン室では、本格スポーツカーのクレーモデルの制作が進められていた。
本田さんは若い頃、手作りのカーチス号で自らハンドルを握ってレースに臨まれ、S600 世に送り出し、世界の舞台でF1レースを戦ってきた方。80歳を過ぎたとは言え、本格スポーツカーに興味がない筈はない。そんな気持ち抱きながら、モデルの案内役をつとめた。
そもそも、この本格スポーツカーの実現は、私のみならず開発部隊にとってS600以来の夢であり、所員誰もが、自分の手でと願っているところ。また企業イメージから見ても、いつかは当然と、周りからも期待されていた。
そんな中、アメリカからの要望でアキュラチャンネルの象徴にと、「スポーツカー」の話がもち上がったのである。この頃、N 社のフェアレディZ280がアメリカの市場で根強い人気を維持していた。そんなこともあり、「V6、2プラス2、タルガトップ（オープン）、3万ドル以下」が営業の要望として出される。
「速く走る」のは、ホンダとして当たり前と言ったところ。この頃アメリカで、レジェンドの売価が2万8千ドルくらいであったところからみて、3万ドルを切るスポーツカーをつくるのは容易でない。そこで当初、レジェンド・クーペをベースにして検討を始めたが、「高い、走らない、格好悪い」で、イメージを落とすからと早々にボツとなってしまう。
その後、高回転、高出力の４気筒エンジンという話も出たが、ヨーロッパならともかくアメリカでは、とアメホンはあくまでもV6に拘った。困ったのは研究所である。F1の覇者がつくる「V6エンジンのスポーツカー」、それも営業の要望する価格で売れるものとなると、およそつくれそうにない。
果たして、ブレークスルーする手立てはあるのだろうか。何はともあれ、まずはスポーツカーとは何なのかを知ることが先決と、チーム全員で、裏磐梯にあるヨーロッパ風の瀟洒なホテルに集まり、世界の名車と言われるスポーツカーを体で感じてみることになった。
さすがに、フェラーリ、ポルシェ、コルベットは伊・独・米が誇るスポーツカーで、それぞれに個性的な「スタイルと走り感」を備えている。乗っては議論し、議論しては走り、これが毎日続いた。そして、だんだんと、自分たちがつくろうとしている車の大変さに気づき始めた。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２６話．明快さと独創性</title>
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    <published>2010-07-12T23:26:19Z</published>
    <updated>2010-07-12T23:28:44Z</updated>
    
    <summary>栃木研究所の幹部を前に、「世の中が大きく変わろうとしているのに、今の研究所は10...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://edit64.jp/education/">
        栃木研究所の幹部を前に、「世の中が大きく変わろうとしているのに、今の研究所は100年1日の如し、である。お客さんに喜んでもらうには、もっとお客さんを知ることだ」と、本田技研社長が手厳しく。
世の中、右肩上がりの経済発展にも行き詰まり感があった。世評ではホンダのことを、T社みたいになってきたとか面白くなくなってきたと。また、栃木に集約した4輪開発部隊が肥大化し、得意の小廻りが効かなくなったのではとの懸念も。
実にタイミング良く、我々が一番気にしているところをグサッとやられた感じ。話の最後に、「お客さんに、新しい発見と夢とドラマを感じてもらえる商品をつくってくれ」と言って帰られた。
その後一ヶ月くらい、主要メンバーが都内のホテルに缶詰になって議論。方向の見えたところで中間報告会をもち、「この課題は、研究所が率先するは当然として、本田技研全体で取り組めばより効果が上がるはず」と申し上げた。結果、経営会議に答申することに。以下、その要旨である。
ホンダの４輪は、ふた昔前はマイナーリーグであった。今は200万台、立派にメジャーリーグ（5位）入りしている。特に北米では、「真面目でまとも」が認められ信用信頼を築いてきた。が、日本では「面白くない、意外性がない、ラインナップは上から下まで皆同じ」と揶揄されている。
これからは250万台に向けて、価値観が多様化する中、幅広い客層に対して「ちゃんとしている」だけでは駄目で、「楽しさ、面白さ」の幅を広げることが肝要。
将来はワールドチャンピョンシップ（リーディングカンパニー）を目指し、それに向けて、GM、トヨタを超えた体質をつくって行きたい。さしずめ、「トヨタ以上の信頼感」に「ホンダのアイデンティティ」がプラスされれば鬼に金棒というところか。
そのためには「新しい発見、夢、ドラマ」をお客さんに感じてもらえる企業たることが必須。そのことはとりもなおさず、「物」を売るのではなく「物事」を売ってゆく「情報価値創造企業」になることで、そのためには「明快さと独創性」こそが、ホンダの最も誇れる特色であるとの主張が重要となってくる。
お客さんと企業を繋ぐのは「商品」であり、ホンダにとって、その「命」とするところは「ドキドキ・ワクワク」である。また、今のお客さんは生活に「ジョイ（楽しさ、面白さ）」を求めているから、企業は「エンターテイメント」を心がけることが大切である、と進言した。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２５話．「最後発」</title>
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    <published>2010-07-01T22:47:56Z</published>
    <updated>2010-07-01T22:50:39Z</updated>
    
    <summary>ホンダがS600で自動車への参入を果たしたのは、東京オリンピック開催の1964年...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://edit64.jp/education/">
        ホンダがS600で自動車への参入を果たしたのは、東京オリンピック開催の1964年。私が入社した年でもある。日本のモータリゼーションは、まさに花開こうとしていた。
この時期一世を風靡した車は、アメリカのフォードムスタング、ドイツのポルシェ911、イギリスのジャガーEタイプ、イタリアのフェラーリ250GTOなど、それぞれのお国柄を背景に個性的で百花繚乱の趣があった。
その後、アメリカの車は大排気量の「モンスターカー時代」を迎えたが、やがて訪れるエネルギー危機や排出ガス規制対応等により、その姿、立場を変えざるを得なくなる。
こうした華やかな車の陰で、大衆の足として、実用性の高い車がヨーロッパの各国で生まれ、70年代初頭のフロントエンジン・フロント・ドライブのスモールカーが台頭。
そして、突然の「オイルショック」は、この高効率を追及したコンセプトの優秀さを世界中に認めさせることになり、あのフォルクスワーゲン・ビートルでさえも大変身せざるを得なかった。アメリカの各メーカーも、長年つくり慣れた大型車を一斉にサイズダウンし、暫時、FFレイアウトに切り替えていった。
1973年、79年の二度にわたる石油危機は、自動車にさらに高い効率を求め、より軽量コンパクトという方向にと技術競争を加速させ、いわゆる「小型車戦争」を引き起こすに至る。
そうした中、最新設備やエレクトロニクス技術に優位性をもつ日本車が、世界市場で大きく躍進することとなった。その結果、各国からの厳しい輸入制限や急激な円高誘導を招き、さらに日本車の均質化や没個性化も重なって、日本車の国際競争力が急激に低下して行ったのである。
このように、大急ぎで、自動車が生まれてからの100年を振り返ってみた。使い手とつくり手の欲が車を大きく進化させ、同時にそれが度を越した時、必ずと言っていいほど大きな変化を余儀なくされてきた、という経緯が読みとれる。
「それで何が分かったんだ」と言われそうだが、生々流転、因果応報の100年であったことは確かだ。そして、1つだけ自信をもって言えることは、歴史を飾ってきた名車と呼ばれる車たちは、どれをとっても颯爽として格好が良いということである。
ともあれ、この90年代半ば、車社会は、大変なターニングポイントに立っているんだとの自覚はできた。私は商品担当役員として、21世紀に向けてのホンダ四輪商品の将来のあり方を考える立場に立たされていた。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２４話．時には振り返れ</title>
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    <published>2010-06-24T19:32:50Z</published>
    <updated>2010-06-24T19:38:23Z</updated>
    
    <summary>「人間、困った時には振り返ることだよ、私も昔、藤澤さん（本田社長時代の副社長）か...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://edit64.jp/education/">
        「人間、困った時には振り返ることだよ、私も昔、藤澤さん（本田社長時代の副社長）からそう言われて勉強したことがある。品質問題で頭を抱えている時だったけどね。お陰で今があると思っているよ」と本田技研社長から。
4代目のアコードシリーズの開発がほぼ目途がついてきたものの、「これから先をどうする」と言われても、全く五里霧中という状況下にあった。ただ、このままの拡大は望めないだろうとの予測は容易につく。
前ばかり向いてここまできたが、一度立ち止まって、これまで自動車が辿ってきた道を勉強する良い機会かもと思い立つ。私なりに勉強を積んできた諸々を、過去から辿って整理してみる。
自動車の歴史は、馬車が馬から解き放たれ自らの足をもつことから始まる。馬に代わったのは産業革命を推進した蒸気機関、今から2世紀余り前のことであった。その後、約一世紀を経て、ダイムラーのガソリン機関は大きく自動車を進化させ、「馬なし馬車」と呼ばれる時代を迎える。20世紀に入り、貴族や大富豪たちの富と権力の象徴としてより豪華な車づくりへと進んだ。
この流れに、革命的とも言える変化をもたらしたのがT 型フォード。大量生産技術を背景に「ワンモデルポリシー」を掲げ、虚飾を廃し、実用主義に徹して、18年もの間アメリカ人の足として君臨した。
これに立ち向かったのがGMのシボレー。豊富なカラーやモデルバリエーションなどスタイリングの重視、大量生産と製品バラエティを両立させるシステムづくりで市場を席巻した。
第一次世界大戦は航空機を発達させ、これが自動車のデザインに大きな影響を与えて、馬車時代の様式と航空機からの新技術が見事に共生する「ビンテージの時代」の幕開けとなる。こうした趣味的高級車も経済恐慌という歴史の波にのみ込まれ、衰退が加速し「流線形時代」へと移ってゆく。
馬車時代の四角い箱から丸い水滴形への変化であり、アメリカがこの流れを新しいスタイルとして捉え、イタリアのカロッツェリアは積極的空力思想によって、形態をより単純化する進歩的スタイルを生みだす。このころ、やっと日本で自動車の生産が開始されたのである。
第二次世界大戦後、アメリカはその豊かさを背景に、より大きく、より快適に、よりスタイリッシュへと車の姿を大きく変え、50～６0年代の黄金期を迎える。私が学生時代に、自動車のデザイナーになろうと憧れたのには、これらの車の影響が大きい。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２３話．「隠し腹」</title>
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    <published>2010-06-17T23:21:32Z</published>
    <updated>2010-06-17T23:23:57Z</updated>
    
    <summary>料亭「新玉」の会議から４年近くの時を経て、「栃木研究室」は「栃木センター」に大き...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://edit64.jp/education/">
        料亭「新玉」の会議から４年近くの時を経て、「栃木研究室」は「栃木センター」に大きく発展し、名実ともに3000人近い所員を抱える堂々とした研究所となる。いよいよデザイン室をどうするかという段階になっていた。
私は研究所常務として、デザインと商品戦略を担当し、4代目「ホンダアコード」の、企画とデザイン作業にとりかろうとしている頃である。
4輪研究所の、栃木への前面移転について室員に投げかけてみたが、誰一人、栃木に行こうとは言ってくれない。と言うより、みんなは私の心を見透かしていて、「銅像を建てますから、ここで」と迫られてしまう始末。しかし私としては、四輪担当の所員8割が移転を終えた中、もう年貢の納めどきだと覚悟を決めていた。
何かトップへの説得材料がないかと考えた挙げ句、大きな関東地方の地図を壁に貼って、室員それぞれが住んでいるところに「待ち針」を刺してもらうことにした。予想を違えて、都下を含めて東京都に刺した針は100人近い室員の中で、私を含めてほんの数本だった。
東京都に住んでいる室員が半数は超えていると思っていたのに、それも川越より北に住んでいる室員のなんと多いことか。こんな調子では揚げ足を取られるのがおちで、この手でお願いなどできないなと覚悟をする。
４年前、料亭「新玉」の会議で、国際空港をつくってもらえれば栃木に行っても良いなどとでかいことを言った手前もあり、「ままよ、自然体で」と思っていたら、「僕も一緒に」と研究所副社長が。100万の味方を得た思いだった。
副社長とともに、本田技研社長（4年前は研究所社長）ところに出向き、「ここ（和光市）でやらせて下さい」とお願いをする。
「どうしてだよ」と聞かれた。「自信ありません」「何故だ」と問答が続く。「私は27年ずっと東京に住んでいます。そして、社長に世界一になれと言われて、ここ（和光研究所）で、それを実現しました。ですから…」と、お願い半分脅し半分である。
社長は暫く腕組みのままだったが、「ところで、『隠し腹』をして来てるんだろうな」と。「はい」と答えた。話はそれだけで、デザイン室が和光にとどまることが決まった。「良かったね」と副社長。その後、社長にはますます頭が上がらなくなった。
それにしても、その後、私の銅像は建った話は聞かない。ちなみに隠し腹とは、江戸時代、お上に無理な頼み事をする時、すでに腹を切り、その上にさらしを巻いて臨むことを言う。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２２話．幻の栃木デザイン室</title>
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    <published>2010-06-10T02:52:13Z</published>
    <updated>2010-06-17T23:20:25Z</updated>
    
    <summary>和光研究所から北へ数キロほど行くと、武蔵野の面影を残す雑木林の中に平林寺という禅...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://edit64.jp/education/">
        和光研究所から北へ数キロほど行くと、武蔵野の面影を残す雑木林の中に平林寺という禅寺があり、その庭を借景にした「新玉」という料亭がある。同年輩の一家言ありそうな昨日ブロックを代表する連中10人余りが集められた。
3代目「ホンダシビック」シリーズの成功で元気いっぱいの頃（&apos;８３）である。真昼間だから宴会ではない。昔から、頭を切り替えたり、新しい玉（技術の種）を生み出すためによくここが使われた。
が、今回はちょっと様子が違う。本当のところは、昼に出る鰻重が旨いので、文句を言わずはせ参じていたのである。見渡すと、各機能ブロックの主だったメンバーが集められているようだ。
招集方の管理室長から、研究所社長からだという主旨説明が始まった。「研究所を、栃木に移転したいという話は知っての通り。しかし、この件に関して、反対者が多いのは心得ている。特に今日集まってもらったみなさんは、その急先鋒であることも、百も承知である」、とかぶせてきた。
そして、「もし、ここにいるみなさんが喜んで行ってやると言ってくれれば、研究所全員、揃って行ってもらうことも可能だろう。なかでも、デザイン部隊が行くと言えば申し分ないところだ」と言って私の方を睨んだ。
急に優しそうな顔になって、「そこで相談だが、みなさん自身、『何』があれば行ってやっても良いと思うのか、一つだけ、遠慮のないところを言ってくれ。では、一人ずつ順番に」とのことであった。
設計部やテスト部隊からは、いろいろと意見がでた。例えば、作業スペースや設備の充実、生活や育児環境の保障など、おしなべて文化的、知的環境の充実に対する期待が大きい。ついに私のところに廻ってきた。
私は、デザインを東京から離れたところでやるのは難しい。しばらくの間は良いとして、そのうちに郷に入るのが。おちだどんなことがあっても行きたくないし、行くべきでないと思っている。だから、叱られるのを承知で、「国際空港をつくって下さい」と言ってみた。
これにはみんな驚いた様子。大いに反響があり、全員が「また、あいつか」という感じで私を見る。集められたメンバーは、この会議が終わると自動的に、研究所を栃木に移転させるための諮問委員になる予定だったらしい。
が、次の会議からは、私だけ呼ばれなくなっていた。のちに、管理室長から聞いた話では、社長に報告したら「ふーん」と言われたきり、コメントはなかったと言う。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２１話．キュービックデザイン</title>
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    <published>2010-06-04T11:59:20Z</published>
    <updated>2010-06-04T12:03:12Z</updated>
    
    <summary>２代目「ホンダアクティ」のデザインが急ピッチで進んでいた。初代アクティの数年間の...</summary>
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        ２代目「ホンダアクティ」のデザインが急ピッチで進んでいた。初代アクティの数年間の販売を通じ、全国津々浦々の、さまざまな使い勝手に関するデータや要望事項が手元に集まっている。
居住性に関しては、限られた寸法の中で、誰もがびっくりするほどの広いスペースをつくり上げることを目標に、四隅のピラーは思いっ切り外に出した。足元を広く取るためにフロントパネル（ボディの前面）を20ミリ前に、併せて、足の出し入れにはドアシール（開口部）前部をできるだけ前方に出す。
乗り降り性では、牛乳配達の作業動作を徹底的に調べ、結果を反映した。また女性が楽に乗り降りできるようシートハイトを１ミリでも下げる努力をする。頭の抜きは、190センチの大男でも大丈夫なように、シールの上部を目一杯に上げることにした。
インテリアは、機能的なトレーインパネを採用し、ドアライニングと併せて「樹脂コンコン（硬い樹脂部品のこと。叩くとこんな音が出たから）」に見えないよう、形状から色つやシボに至るまで工夫を重ねる。
また使い勝手では、積み卸しを楽にするために、フロアを20ミリ下げて低床の実現を計り、あおり（荷台部分のサイドの縦板）などの開閉は、軍手のまま操作ができてかつ素手でも問題ないようにと、レバーや取っ手類の形状に細かい配慮を施した。荷台長は1800ミリ以上を確保し、荷物のモジュールを徹底して調べ、隅々まで使えるようにと工夫する。
最後まで悩んだのはルーフの扱いで、先代のもっていたノーマルルーフとハイルーフの2種類を、それら中間の高さに統一、バンとストリートを共通のルーフとした。1ミリを戦った低床の実現努力の賜である。結局、これによって生まれた大きなテールゲートが、このシリーズ最大の売りものになった。
そのほか細かく言えばいとまがない。売り出しに当たって、宣伝屋が「キュービックデザイン」と言ってその効用を謳ってくれた。「体」は「名」を表したと言うところか。一人ひとりは地味な連中だったが、やったことは凄い。底力を感じるチームだった。
予定で言うと、10年後（’90）、次のモデルチェンジを行うことになる。私はもういないだろうが、衝突安全や環境問題などを考えると、サイズが一回り大きくなり、姿かたちもすっかり変わるに違いない。が、次の世代が、こうした手間ひまかけるものづくりの伝統を、しっかり受け継いで行ってくれることだろう。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第２０話．「ハリバートン」のような</title>
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    <published>2010-05-27T01:40:58Z</published>
    <updated>2010-05-27T01:43:46Z</updated>
    
    <summary>企画段階にある2代目「ホンダアクティ」の中間報告を聞いたところで、私は、チームの...</summary>
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        企画段階にある2代目「ホンダアクティ」の中間報告を聞いたところで、私は、チームの面々にかなり難しい注文を付けた。やり切っていないと思ったからである。彼らは、「しばらく時間を…」と言って引き上げていった。
時間のないのはこちらも承知。いらいらして待っていたら、３日ほどしてチームの何人かが、ベンツのトラックのカタログと「ハリバートン」のアタッシェケースをもって現れた。
「これで行きたいのですが、」と目を輝かして。私はそれ以上聞かなくても、持ってきたものを見て、チームの言いたいことはすぐに解った。何と、両方とも「真四角」なのである。
とうとう、軽トラックまでベンツになってしまったかと、内心ほくそ笑んだ。「解るなあ」という気持ちと「よくもまあ捜してきたな」が一緒になって、私としては大満足だった。
デザイン作業は、ベクトルが定まれば進むのも速い。デザイナーの連中は和光から出張できている者ばかりで、みんなホテル暮らしであった。朝晩、６～７人で「ドミンゴ」に乗っての通勤が続いている。さながら、ホテルは合宿所、車の中は会議室だと彼らは言う。
技術面では、本田技研専務の一喝が効いて、エンジンは新しい設計の３気筒600cc、12バルブ　40馬力、フロント配置のラジエター、と相当凄いものに。レイアウトは先代を受け継ぎ、アンダーフロア・ミッドシップエンジン、リア駆動。
さらに、ウルトラロー、ウルトラバックの設定と４WD。加えて、T360、TN360、初代アクティーという、3代に渡る数々の失敗を肥やしに、積み重ねられた技術である。デザインはどんどん進んでいく。
四角い形をした粘土の塊は、構成する面がまっ平らのままだと、目の錯覚だろうが、側面や上面は凹んで見えたり、後面はそっくり返って見えた。が、最初のうちは、そう見えないようにするだけの加工に徹し切って作業を進める。
それが出来た上で、少しずつ用心深く削りながら、四角いが張りのある機能的な形に仕上げていった。先代アクティーのサイドパネルの後部辺りが、走行中に、路面からの衝撃で歪むという問題が発売直後に発生し、急遽ラインを止め、何本かのビードを入れた苦い経験がある。
板に張りがないとこんなことになるだけに、平らなものに張りをつけるのは極めて難しい。以前、本田さんから教わった「板を殺す」という話や、「ステップバン」の時の苦労が、ここで生かされたのは言うまでもない。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第１９話．「パイプ・インパネ」</title>
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    <published>2010-05-20T17:44:49Z</published>
    <updated>2010-05-20T17:49:03Z</updated>
    
    <summary>インテリアデザインの方も、エクステリア同様に人手がなかった。一番手間ひまのかかる...</summary>
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        インテリアデザインの方も、エクステリア同様に人手がなかった。一番手間ひまのかかるのがインパネ（インストルメント・パネル）のデザイン。そこで考えたのが、ならば、インパネのデザインをやめてしまおうと。
これにはみんな驚いたが、背に腹は代えられない。どうしたかと言うと、室内のドア前方の両壁に直径50mmぐらいのパイプを渡し、強度メンバーとした上で、必要最低限のメーターを載せることにした。これなら、せいぜい小さなメーターバイザーの工数くらいで済むだろうと踏んだのである。
お陰で、ずいぶんユニークなインパネが誕生した。が、機能的とは言え、これではいくら何でもあんまりだと言うので、パイプ部分には薄く粘土をかぶせ、デザインはでき上がる。
しかし、それからが大変。私が、1／5のクレーモデルから、いきなり1／1のモックアップモデルをつくってしまおうとのアイデアを出し、さらに、室内も一緒の内外一体モデルをと欲張った。
気の遠くなるような手作業である。内と外の寸法合わせに悪戦苦闘の毎日。すべてが初めてのことばかりであったが、ようやく、「内外装一体モックアップモデル」なるものは完成した。
「エンジンはどこに？」と聞かれた主席研究員に、「どうぞ」と、モックアップモデルのドアを開けてみせた。これには相当びっくりされた様子。室内は思いのほか広いと思われたようだ。「エンジンは？」と、また聞かれる。
「ここです」と言って、こんどは前のボンネットを開けた。その中には、エンジンとボディ設計担当の苦心作である、折り畳んだエンジンとミッションがきちんと収まっている。さすがに「わっ！」と驚かれ、「参った、参った」を繰り返された。してやったり、である。
早速、営業に見てもらおうと言うことになり、真っ先に、大阪支店のＭ部長に声をかけた。直ぐに跳んできてくれ、もちろん、大喜びであったのは言うまでもない。
その後、この車は「トディ」となり、同時に進めていたローバーとの共同開発車は「レジェンド」となり、アメリカ要望の新機種は「インテグラ」となった。この時期、国内は３チャンネル体制となり、これら３機種は「トディ」はプリモ店、「インテグラ」はベルノ店、「レジェンド」はクリオ店に投入される。　
こうしてホンダは、「ピン」と「キリ」と「真ん中」の、まったくコンセプトの違う３つの車を、同時に手に入れることが出来た。アイデアは苦しい時にこそ出る。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第１８話．全身是居住性</title>
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    <published>2010-05-13T09:42:25Z</published>
    <updated>2010-05-13T09:45:00Z</updated>
    
    <summary>大阪支店の要請による、関西地域のプリモ店大会でのスピーチを無事に終え、東京に戻っ...</summary>
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        大阪支店の要請による、関西地域のプリモ店大会でのスピーチを無事に終え、東京に戻って、関西での「ボンバン」への期待の高さを研究所役員室に報告。「やるか」との気運が高まる。先行検討チームもその気になった。
が、そこに立ちはだかったのが開発工数という壁である。「これ以上できません」という所長室の悲鳴が聞こえてきた。
この頃、英国ローバー社と進めている共同開発車「ホンダレジェンド」の工数は、当初の予想を遥かに超えていたし、アメリカから新機種への強い要望が加わり、新たな機種の入る隙間がない状態であることの察しはついている。が、先行検討チームは、こんなことで引っ込むような連中ではない。
そこで私をはじめチームが考えたのは、コンセプトを早く一つに絞ること、クレーモデルは1／5スケールで進めること、灯火類や小物部品は「有りもの」を徹底して使うこと、新規に設計するものは、「二つを一つ」にするくらい図面を減らすことなど、これらを条件にやれるところまでやってみようと。
とりあえず、私が先頭に立ってやることにし、外観デザインを進める工数として、わずか入社早々の新人を３人、教育のつもりで預かった。さてコンセプトとデザインの方向は、先行検討で居住性重視型とスタイル重視型の２案進めていた、
が、我々にとっても「10年ぶりの復活」であるのと、お店の人の言う「ホンダだから、きっと」との、双方を考え合わせ、議論の末、インパクトのある個性的なスタイルの「低全高1BOXタイプ」に絞り込んだ。我が意を得たり、と言うところであった。
とは言うものの、この頃はまだ正式なチームもできておらず、「一口言葉（キャッチフレーズ）」も自分で考えるしかない。あれこれ悩んだあげく、誰にでもすぐイメージが描けるようにと、「全身是居住性」と漢文調のものにし、筆で書いて壁に貼った。たちまち評判に。
スケッチはコンセプト通りにでき上がったものの、新人たちは1／5クレーモデルに手こずっていた。通りすがりに面白がって眺めていたベテランも、たまりかねて「残業の時間だけでも」と、ボランティアを名乗り出てくれるようになる。
トントン拍子に仕事が捗った。何しろ1／5モデルは、体積でなら５の３乗分の1（1／125）だから、その分、工数も少なくてすむだろうと思っていたが、どっこい、そうもいかないことも分かった。一気に人が掛けられないからだ。
何事も経験である。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第１７話．「早くボンバンを」</title>
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    <published>2010-05-06T11:02:19Z</published>
    <updated>2010-05-06T11:05:31Z</updated>
    
    <summary>関西地域のプリモ店大会が、大阪支店の主催で行われることになり、そこでのスピーチを...</summary>
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        関西地域のプリモ店大会が、大阪支店の主催で行われることになり、そこでのスピーチを依頼された。営業本部長直々のお名指しらしい。スピーチの内容を考えるに当り、なぜ私なのかを聞いてみた。
その主旨は、今回プリモ店の強い要望で投入することになったシビック４ドアセダンが、すでに売っているベルノ店のバラードに比べ、「格好が悪い」と販売店から突き上げられていて、それを「何とかおさめて欲しい」とのこと。
シビック４ドアセダンは、2代目シビック5ドアハッチバックに、トランクをポンと付け足しただけのモデル。だから、自分でもそう思っている手前、「そうでない」とも、だからと言って「その通り」とも言えない。困ったことになったと思ったものの、ままよと、自然体で臨むことにした。
話の中身は、ご当人には例えに出すことをお許しいただくとして、「百恵ちゃんは、美人でセンスが良くて、デートには良いかもしれない。が、かみさんにするには、森昌子のように、親しみがあって、丈夫で長持ちの方が良いのではないか」と言うようなことであった。
これが受けて、会場は和んだ。その後の質疑で「ともかく、お前さんの言いたいことは解ったよ」と言ってもらう。しかし、納得してもらった訳でないことは、重々わかっていた。
その夜、大阪南の繁華街での打ち上げパーティーで、たちまちみんなに取り囲まれた。こいつは話せる奴だとばっかりに、どのテーブルにおじゃましても、「是非、早くボンバンを」とのラブコール。シビック４ドアセダンの話など、どっかにすっ飛んでしまったようだ。
そのうちに酔うほどに、「うんと言わないと、帰さない」になってしまった。こんなことで来たのではないのに、と思ったものの悪い気は全然しない
よそがうまいことやっているのが、よっぽど悔しいらしい。「どんなのが、いいんですか」と聞くと、誰もが「ホンダだからねえ」と。期待が大きく、しかも信じてもらっていると言うことは、なんとも嬉しいものである。
支店のＭ部長には、帰りがけにこっそり、「期待していて下さい」と告げて帰路につく。２案あるモデルをどちらに絞るか、私の考えはこの時すでに固まっていた。
ものをつくろうとするエネルギーは、どこから湧いてくるのだろうか。今回のように、人に出逢って、その会話や雰囲気に触発されて、むらむらっと湧いて出る場合もあるようだ。帰りの新幹線では、いくら飲んでも、冴え冴えとしていた。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第１６話．エンジンは何処に</title>
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    <published>2010-04-28T23:48:18Z</published>
    <updated>2010-04-28T23:51:23Z</updated>
    
    <summary>軽の復活をかけて、先行検討が進められていた。出来上がったイメージモックアップモデ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://edit64.jp/education/">
        軽の復活をかけて、先行検討が進められていた。出来上がったイメージモックアップモデル（先行確認用実物大模型）を前にして、エンジン設計の主席研究員Ｓさんが、「おい、この車、エンジンはどこに入っているんだい」と。
「しめた」と思った。エンジンの名人が、エンジンがどこにあるか判らないのなら、このモデルは、「革新的レイアウト」だと言ってよい。「ここに入っています」と、前方のボンネットを開けた。
確かに、１BOX風スタイルのボンネットの中には、本物のエンジンが入っていた。エンジン付きモックアップモデルなど、これまでにない。トップを驚かすための私の演出であった。
軽自動車「ホンダライフ」の生産を中止してから、すでに10年経っている。トラックとバンはずっと続けてきたが、軽乗用車に対する市場からの復活要望は相変わらず強かった。
ライフの生産を止め、シビックに切り替えてきた背景の一つに採算の悪さがある。この課題が解決できないかぎり、軽乗用車の復活はない。が、このところ「ボンバン」と称し、商用の税制恩典をうまく使った、実際は乗用ユースとして使われている低価格のバンタイプが、女性ユーザーを惹きつけていた。
この辺に、採算性の課題を克服するヒントがあるのかもと、密かに検討を進めていた。その検討の中で、「２代目プレリュード」と「初代シティー」で試みた「MMコンセプト（機械部分の極小化）」技術が、サイズに制限のあるこの手の小さな車に最も有効であろうと考えたわけだ。
同時に、手持ちの「ホンダアクティ」のエンジン（水冷2気筒360cc）を使って、何か、新しいことが出来ないかと、エンジンとボディーの設計スタッフが、一丸となって知恵を絞ってくれる。
その結果、シリンダーとミッションが平らに寝そべっているアクティのエンジンを、クランクシャフトを軸に、腰から折り畳むように構造変更することにより、前後も高さも、コンパクトにできる見通しがついた。
このエンジンをフロントに置いて、どんなキャビンをつくろうかと検討を進める中で、２つの案が出る。一つは、パッケージ担当から出た全高の高い居住性優先型のボンネットタイプ、もう一つは、外観デザイン担当から出た低全高のスタイル重視型の１BOXタイプであった。
双方ともに、そのころ市場に出ている競合に比べ、もちろん、遥かに優れたものを持っている。さて、どちらに絞るかと議論が沸騰していた。

        
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    <title>Ⅵ　ホンダとともに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第１５話．５日モデル</title>
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    <published>2010-04-22T23:53:40Z</published>
    <updated>2010-04-22T23:57:38Z</updated>
    
    <summary>「ホンダN360」の、初めてのモデルチェンジのデザイン作業が難渋し、急遽別案を用...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://edit64.jp/education/">
        「ホンダN360」の、初めてのモデルチェンジのデザイン作業が難渋し、急遽別案を用意することになって、私がそのチーフに選ばれた。作業を開始して3日経ち、大まかな形状が見えるようになってきた。
が、ここからが正念場で、これまでのようにトントンとは行かない。限られた時間の中であれこれ考え、バンパーはN360ものを上下逆さまにして幅を広げてみると、かつて苦労した端末処理もうまくいった。
テールランプはN360に較べ位置を下方に移し、面積を大きく取れるようにした。さらに、リフレクターやエヤーアウトレット（風抜き孔）までテールランプにビルトインをする。苦肉の策ではあったが、意外とこれが功を奏して、これまでと違って見えると同時に、大いに手間も省け時間を稼いだ。
５日間で、ほぼ目標のところまで完成することができた。徹底した目標管理型の仕事ぶりだったのであまり面白い仕事とは言えず、途中、メンバーからの不平不満もなくはなかったが、完成した時はさすがにみんなで喜び合った。
誰もここまで出来るとは思わなかったと言う。秀吉の「三日城」ならぬ「5日モデル」である。所長の判断で、結局さらに一週間かけて、もう少し仕上げてみようと言うことになった。
今回の仕事の意味が日を経るにつれて判ってくる。最初に進めていたモデルが新しい方向を目指しているのは良いとしても、形の丸さと優しさが、本当にこの車にふさわしいのかどうかトップが判断に迷っていたことがひとつ、もうひとつは、いろいろなトライアンドエラーをしている時間が取れないと言うことだった。
そんな中、私たちの5日モデルは、これらを克服するための重要な役割を果たしたのである。最終モデルにはもくろみ通り、優しさの中にもしっかりした強さが加わり、別案で実験したデザインのいろんなトライアルも、そのまま生かされることになった。
のちに実施される「異質併行デザイン方式」は、ここから始まったのではと思っている。この直後、造形室が３倍くらいに拡張され２階に大移転した。その大きくなったスタジオで、N360のモデルチェンジは完了し、新しい４ドアの軽自動車が誕生したのである。
この4ドアはホイルベース(前後輪車軸間距離)の長さを見事に生かしたもので、藤澤副社長のアイデアだという。後席への乗り降りが飛躍的によくなったとの評判から、発売直後から大変な人気商品となる。この車は「ホンダライフ」と名付けられた。

        
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