様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
時代は「編集」を求めている。
メルマガ登録はこちら
▼サイト内検索 (※試作中)

☆■収集(分けると分かる) 収集・選択・分類・流派・系統 H■焦点(ニュースにする) 焦点・報道・統御
A■編定(縮めて伝える) 編定・要約・凝縮・翻訳・結合 I■境界(区切りを変える) 境界・場面
B■原型(型にして見る) 原型・模型・適合・列挙・配置・意匠・装飾・図解 J■周期(リズムをつける) 周期・曲節
C■順番(繋げて較べる) 順番・規則・交換・競合・比較・共鳴 K■諧謔(おおげさにする) 歪曲・不調・輪郭・諧謔
D■暗示(含みを持たせる) 暗示・相似・擬態・象徴 L■形態(構造を見つける) 構造・形態・生態
E■引用(盗んで補う) 比喩・推理・引用・例示・補償 M■劇化(物語で遊ぶ) 筋道・脚本・劇化・遊戯
F■注釈(付け加える) 注釈・付加・削除・拉致・保留・代行 N■綜合(みんなまとめる) 総合・創造
G■模擬(測って調べる) 模擬・測度・強調・変容 △■編集思考素
<$MTBlogName encode_html="1"$>: <$MTArchiveTitle$> アーカイブ " /> " />

« <$MTArchiveTitle$> | メイン | <$MTArchiveTitle$> »

<$MTEntryTrackbackData$>

<$MTEntryDate format="%x"$>

">

<$MTEntryTitle$>

<$MTEntryBody$> <$MTEntryMore$>

2006年04月05日

箇条書きは思考を停止させる

小学校以来の学校教育で、私たちは箇条書きでものごとを表すように指導されてきた。そして企業等で仕事をやるようになっても、報告書や企画案を書くときも会議資料としてペーパーを扱うときも、文章に加えて箇条書きを多用してきた。だから箇条書きは便利な手だてであることに何の疑問も感じない。

3点を箇条書きで上司に出すともう一つのポイントを追加されることがある。そしてさらに上の上司に見せるとまたポイントを一つ追加されてしまう。結局5点となって決済を受けることになる。3つが5つになっても誰もよくなったと思うだけで疑問は持たない。

しかしこれはおかしなことである。情報量は3から5に増えて2倍近くになっているにもかかわらず、その情報を表す形や体系は変えなくてもいいのが、箇条書きという方法なのだ。箇条書きは同じ大きさで表現する手法であり、各項目の大きさを表せない。また項目同士の重なりの度合いを示すこともできない。そしてある項目と別の項目との因果関係も表現することもできない。

箇条書きはキーワードをただ平面的に並べただけなのだ。だから箇条書きを書いた本人が問題の本質を理解していない可能性が高い。書いた本人がわかっていないものを相手がわかるはずはないではないか。世の中に箇条書きでキレイに並んでいるものなど何もない。あらゆるものは立体的にできているのだ。

社是を考えてみよう。企業の大半は文章か箇条書きで社是を表現している。社是を定めた経営者が引退して次の代になったら、後継者は新しい色を出したくなる。当然、社是も見直しの対象になる。しかし箇条書きでできた社是は硬質で変えられない。このような形式の社是は硬直的で柔軟性に乏しいから、時代の流れの中で経営の足かせになってしまうケースも多い。

仕事とは問題を頭で考えて、解決すべく行動することである。箇条書き思考にどっぷり浸かった頭では、複雑な問題を上手に解くことはできない。私たちは箇条書きで書かれた段階で思考を止めてしまうというクセを持っているからだ。つまり、箇条書きは思考を停止させるという大きな欠陥を持っているのだ。
共同作業で気持ちよく問題解決に当たるためには、項目、部分、キーワード同士の関係を端的に表す表現方法に親しみ、関係を柔軟に変化させ続けなければならない。集団の思考力を成長させる思考方法の開発が求められている。

その一つの答えが図解コミュニケーションと私は考えている。


書名やキーワードで千夜を検索


▼松岡正剛の最新情報はコチラ
▼松岡正剛&編集工学研究所の最新情報をブログでお届け


©編集工学研究所
■ 会社概要
■アクセス
■お問い合わせ