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    <title>□図解コミュニケーション―Navi.久恒啓一</title>
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    <title>箇条書きは思考を停止させる</title>
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    <published>2006-04-05T03:37:13Z</published>
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        小学校以来の学校教育で、私たちは箇条書きでものごとを表すように指導されてきた。そして企業等で仕事をやるようになっても、報告書や企画案を書くときも会議資料としてペーパーを扱うときも、文章に加えて箇条書きを多用してきた。だから箇条書きは便利な手だてであることに何の疑問も感じない。

3点を箇条書きで上司に出すともう一つのポイントを追加されることがある。そしてさらに上の上司に見せるとまたポイントを一つ追加されてしまう。結局5点となって決済を受けることになる。3つが5つになっても誰もよくなったと思うだけで疑問は持たない。

しかしこれはおかしなことである。情報量は３から５に増えて2倍近くになっているにもかかわらず、その情報を表す形や体系は変えなくてもいいのが、箇条書きという方法なのだ。箇条書きは同じ大きさで表現する手法であり、各項目の大きさを表せない。また項目同士の重なりの度合いを示すこともできない。そしてある項目と別の項目との因果関係も表現することもできない。

箇条書きはキーワードをただ平面的に並べただけなのだ。だから箇条書きを書いた本人が問題の本質を理解していない可能性が高い。書いた本人がわかっていないものを相手がわかるはずはないではないか。世の中に箇条書きでキレイに並んでいるものなど何もない。あらゆるものは立体的にできているのだ。

社是を考えてみよう。企業の大半は文章か箇条書きで社是を表現している。社是を定めた経営者が引退して次の代になったら、後継者は新しい色を出したくなる。当然、社是も見直しの対象になる。しかし箇条書きでできた社是は硬質で変えられない。このような形式の社是は硬直的で柔軟性に乏しいから、時代の流れの中で経営の足かせになってしまうケースも多い。

仕事とは問題を頭で考えて、解決すべく行動することである。箇条書き思考にどっぷり浸かった頭では、複雑な問題を上手に解くことはできない。私たちは箇条書きで書かれた段階で思考を止めてしまうというクセを持っているからだ。つまり、箇条書きは思考を停止させるという大きな欠陥を持っているのだ。
共同作業で気持ちよく問題解決に当たるためには、項目、部分、キーワード同士の関係を端的に表す表現方法に親しみ、関係を柔軟に変化させ続けなければならない。集団の思考力を成長させる思考方法の開発が求められている。

その一つの答えが図解コミュニケーションと私は考えている。




        
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    <title>豊かな自己表現力と幅広い教養</title>
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    <published>2006-02-25T18:08:03Z</published>
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        平成１２年版の経済白書に示唆に富むグラフがでてくる。白書はＩＴ時代に必要な人材として創造力や実行力をあげ、学校教育や企業内訓練の実態を論じている。その中で「職業生活において重要な能力と大学で身につけた能力」について、30代の初めのビジネスマンに聞いている。これによると、「大学で身につけた能力」としてあげられているのは、高いものから順番に、幅広い教養、人文・社会の知識、自然科学の知識となっており、これは私達の学生時代からほとんど不変という印象だ。

一方、「現在とても重要」な能力は、高いものから順番にあげると、コミュニケーション能力、判断力、問題解決・分析能力、プレゼンテーション力、企画力・創造力となっている。これらの能力はまとめて「自己表現力」ということもできると思う。大学教育はこういった分野に人が少ないこともあって、全くといってよいほど対応できていないことがうかがえる。

また「教養」については、「現在とても重要」と考えている人がかなり増え、そして「今後とても重要」になる能力という問いに対しては、コミュニケーション能力と並んでトップに踊り出てくる。仕事に熱が入ってくると最初に感じるのは教養の不足だ。つまり大学においては教養教育も十分であったとはいえないということであり、ビジネスマンはその獲得について現在、そして将来の切実な課題として認識しているということだ。
３０代初めというと、ようやく仕事の意味や重みがわかり始めた時期だろう。彼らが実社会に出てキャリアを磨きながらひそかに感じているのは、「豊かな自己表現力」の欠如と「幅広い教養」の不足なのである。

大学を始めとした学校教育の社会の側から見た問題点はここに尽きているように思う。この点はキャリア形成の第一歩としての就職試験に臨んで大学生自身が欠落を感じる能力と酷似しているのは興味深い。
では、「自己表現力」をどうやって獲得すればいいのだろうか。図解も含めた表現する手段の獲得と、表現機会の拡大が重要だ。ポイントは表現しようとすることによって、中身ができてくるということだ。逆ではない。
それでは「教養」はどうか。教養人とは自分の生き方を常に問い続けている人であるという定義がある。その考えに従えば、自分の立っている地平、位置の絶えざる確認が必要だ。歴史、地理、そして物理学や生物学、宇宙論等が必要なのはこのためである。

私が大学で行なっているゼミの一つでは、自分の関心のある分野を題材に毎週1枚の図解を自由に描いてくることを課題とし、各自が図解を発表し、理解を深めるため全員で議論する方式を採用している。図解をつくった本人はその過程で、例えばルワンダ紛争、性同一障害、陪審制、学級崩壊などに関する知識の枠組みが深く頭に入る。そして他の受講生がつくった図解を解説してもらう中で、広い知識を手にすることができる。ごく短い時間で様々の分野の体系化された知識が身につくというわけだ。

完成された図解以上に大事なのは、図解の過程でものごとを自分の頭で深く考え抜いたという経験である。描く過程を多く経て、鑑賞する機会を多く味わうことによって、しだいに自分なりの世界観が形成されてくることを感じるようになってくる。つまり教養の獲得にも図解が有効ということだ。
「豊かな自己表現力」と「幅広い教養」はビジネスマンの必須科目である

        
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    <title>理解・企画・伝達</title>
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    <published>2006-02-14T14:12:25Z</published>
    <updated>2006-02-14T14:19:46Z</updated>
    
    <summary>ビジネスマンとして２０年以上現場の最前線で働いてきた。その間いつも念頭にあったの...</summary>
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        ビジネスマンとして２０年以上現場の最前線で働いてきた。その間いつも念頭にあったのは、どういう能力があれば仕事の成果があがるのかという問いだった。大企業で労務、広報、企画という分野を主として経験してきた私の結論は、３つの能力が備わっていれば仕事はできるということだ。その３つの力とは、理解する力、企画する力、伝達する力である。

理解する力とは、上司の指示を聞き、回ってきた文書を読み、ポイントを理解する力である。企画する力とは、自分の頭で新しい考えやアイデアを生み出す力である。そして伝達する力とは、考えやアイデアを他の人に間違いなく伝える力である。
これら３つの力はコミュニケーション能力ということもできる。理解と伝達は他人とのコミュニケーションであり、企画は自分自身とのコミュニケーションである。過去の経験の教訓、読書等で培われた膨大な情報、そういうものを現在の仕事のテーマと照らし合わせながらアイデアをひねり出す作業が企画という仕事だ。そしてこの企画という力の獲得が最も難しい。
ビジネスマンとしての能力の高低は、この総体としてビジネスコミュニケーション能力とでも言うべき３つの力のそれぞれの大きさとそのバランスによって規定されてくると言ってもよい。課長は係長より、部長は課長より、３つの力が全体として大きいはずである。バランスもいいはずである。そういう視線であなたの周りを見渡して欲しい。そうなっていますか？

さて、ビジネスマンの場合、この３つの力のバランスが崩れているケースが多い。理解力８、伝達力２、企画力０、というタイプの無口な情報収集型ビジネスマン、理解力２、企画力０、伝達力８というタイプの饒舌ビジネスマンなど身の回りで上司や同僚の顔を思い浮かべるのは難しいことではないはずだ。昇進というものは、本来この３つの力の大きさと、そのバランスのよさで決まるものであるべきだと思うがいかがであろう。
初等中等教育の目的は、「読み、考え、書く」力をつけるということである。考えてみれば仕事やビジネスの場合と同じことだ。読むのは理解だし、考えるのは企画だし、書くのは伝達と同じ意味だ。また学問の世界では、同じことを難しく言うという業界常識があり、「認識、創造、表現」という言い方をしているようだ。これも理解、企画、伝達と同じことではないか。

要するに私たちは、小学校入学以来、人生を終えるまで一貫して、理解力・企画力・伝達力というコミュニケーション能力を磨いているということになるのである。
そしてそのコミュニケーションの方法は主として「文章」ということになっている。この連載を通じての私の提案は、図解という優れたコミュニケーション手段を併せて使って、ビジネスコミュニケーション能力を鍛えようということだ。
プレゼンの達人とは、ここでいう理解力と企画力に支えられて、優れた伝達力を発揮しているグレートコミュニケーターのことである。
それぞれの仕事やビジネスに特有の知識やしきたりは、このような基本的な能力があれば、その時々に必要に応じて集中的に吸収すればいいのである。転勤、異動、昇進という数年単位の節目を難なく乗り切っている仕事師は、実はこういうタイプが多いのである。

        
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    <title>図解は納得のコミュニケーション　　</title>
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    <published>2006-02-03T14:19:51Z</published>
    <updated>2006-02-03T14:25:10Z</updated>
    
    <summary>人間の脳が認識しやすいような方法で情報を表現することが最もすぐれた方法であるはず...</summary>
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        人間の脳が認識しやすいような方法で情報を表現することが最もすぐれた方法であるはずだ。そのように考えてくると現在のビジネスのメインツールといってもよい文章の力についての疑問が湧きあがってくる。もともと人間は文章でものを考えているのだろうか。学校教育の場では、文章至上主義とでも形容したいほど文章を中心とした教育が行われている。難解な文章を読まされて、「それ」や「これ」という代名詞が何を指すかというような読解力が大事な力とされている。教科書や試験に出てくる小説や評論などの文章は難解であり、それを読みこなせない自分の力量を反省させられる。しかし、一度読んで理解できないような文章は悪文なのではないだろうか。

日本では「文は人なり」という言葉に代表されるように、知識人の条件は文章が書けるということであって、今でも変わりはない。文章にケチをつけられると書いた本人は人格を否定されたように感じてしまう。上司であれば、地位が高ければ文章を修正する権利があるのだ。偉くなるということは給料があがるというようなことではなく、部下の文章を自由に直す権利を得ることだともいえる。文章をめぐる上下のトラブルは日本のあらゆる組織に存在している。ここで日常的におこるコミュニケーション・ロスは日本の組織の力を3割程度弱めているのではないだろうか。

さて私のビジネスマン人生を振り返ってみると、「できる上司」は文章に造詣が深いタイプもいたが、キーワードの設定力が高かったり、図で指示を出すというタイプが多かったように思う。私の場合、幸いなことにこういったレベルの高い上司に何人かめぐりあって、図でものを考えるという習慣がつき始めた。そして実際に自分が上司の立場になり部下とのコミュニケーションに心を砕くようになると、この方法は伝える側と伝えられる側双方にとって有効であることを確認し、しだいに自分のスタイルとなって定着してきた。若い世代の文字離れ、そして高齢化による管理職の老眼化の進行もあり、文章一辺倒の組織風土の見直しを含め、コミュニケーションスタイルを考え直す時期に来ている。

文章コミュニケーションでは、文字面を真剣に追わないと中身を理解できないところがある。目に入ってくる文字や言葉や文章を脳の中で意識的に処理して初めて理解が可能だからだ。一方図解は一目で全体像を把握でき、そしてもう一度論理回路を働かせ図解を読み下す作業を行うことになり、いわば二重に記憶に刻み込まれていくため、理解が速くそして深いのである。

「地図」という言葉には、地の中に図が浮かび上がってくるという意味がある。我々は現実そのものを見てもわからないのである。整理された図を見せてもらわなければ理解できない。それくらいの頭しか人間にはないということだ。

最近、プレゼンテーションの場面で図解を使うことが多くなってきている背景にはこのような事情がある。プレゼンする側から言うと、相手に全体像を示した上で、個々の部分の説明が可能となる。全体と部分をバランスよく説明できるのだ。またプレゼンを受ける側は、全体の構造を理解できることに加え、口頭説明を受けながら、自分が特に関心を寄せる部分について思考を集中できるため、納得感が高まるのである。

こういったコミュニケーションを「図解コミュニケーション」と名づけたいが、その面白さは見る人の関心やレベルに応じて理解の深さが違ってくるという点だ。読み手はいやおうなく参画させられるのだ。文章コミュニケーションにありがちな、押し付けに陥る可能性は低い。文章を説得のコミュニケーションとすれば、図解は納得のコミュニケーションということもできる。人間は説得するのは好きだが、説得されるのは死ぬほど嫌いなのである。図解コミュニケーションをすすめる理由がここにある。
 

        
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    <title>図解コミュニケーションを提唱している久恒啓一です</title>
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    <published>2006-01-22T21:14:49Z</published>
    <updated>2006-01-23T10:18:12Z</updated>
    
    <summary>こんにちは！ 図解コミュニケーションを提唱している久恒啓一です。 このブログで、...</summary>
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        こんにちは！

図解コミュニケーションを提唱している久恒啓一です。
このブログで、図解に関するエッセイを気楽に書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。
以下は、私の公式プロフィールです。
詳しい情報は、久恒啓一図解Ｗｅｂで。
　http://www.hisatune.net
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1950年大分県中津市生まれ。九州大学法学部卒業後、73年日本航空入社。ロンドン空港支店、客室本部労務担当を経て、広報課長、サービス委員会事務局次長などを歴任。在社中から「知的生産の技術研究会」に参加、勉強会の成果をもとに著作活動を行なう。
　 97年同社を早期退職、新設の県立宮城大学教授に就任。NPO法人知的生産の技術研究会理事長。
　 「図解コミュニケーションが世の中を変える」と提唱、その理論を公開した『図で考える人は仕事ができる』（日本経済新聞社）はベストセラーとなった。
　 著書は『図で読み解く！ドラッカー理論』『合意術－－深堀型問題解決のすすめ』できる人になるには勉強してはいけない！』『伝える力』など多数。



        
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