様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
時代は「編集」を求めている。
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☆■収集(分けると分かる) 収集・選択・分類・流派・系統 H■焦点(ニュースにする) 焦点・報道・統御
A■編定(縮めて伝える) 編定・要約・凝縮・翻訳・結合 I■境界(区切りを変える) 境界・場面
B■原型(型にして見る) 原型・模型・適合・列挙・配置・意匠・装飾・図解 J■周期(リズムをつける) 周期・曲節
C■順番(繋げて較べる) 順番・規則・交換・競合・比較・共鳴 K■諧謔(おおげさにする) 歪曲・不調・輪郭・諧謔
D■暗示(含みを持たせる) 暗示・相似・擬態・象徴 L■形態(構造を見つける) 構造・形態・生態
E■引用(盗んで補う) 比喩・推理・引用・例示・補償 M■劇化(物語で遊ぶ) 筋道・脚本・劇化・遊戯
F■注釈(付け加える) 注釈・付加・削除・拉致・保留・代行 N■綜合(みんなまとめる) 総合・創造
G■模擬(測って調べる) 模擬・測度・強調・変容 △■編集思考素

■建築とアートのある風景3

延藤安弘コレクション「世界の住まいとまち絵本展」
 -ちいさいおうちを覚えていますかー

友人にこの展覧会の案内をするときに『ちいさいおうち』覚えてる?と必ず聞いてみる。ほとんどの友人が「覚えてる!!あれスキだったな!」と目を輝かせる。絵本の記憶から、幼いころの気持ちが一瞬にして甦る。

バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』は私の心の中にも残っている。幼い頃にみた水色の装丁に丸い表紙絵、その中で笑う小さいお家は、今でもこんなお家にすみたいな、と思わせる。美しいアメリカ郊外のヒナギクやせせらぎのある丘に立つ「ちいさいおうち」が開発の影響で、道路が造られ、車が走り、高層ビルや工場に挟まれ、排気ガスの曇にうずもれ、泣いている。やがて建て主により、美しいりんごの樹の丘に引越すと、もとの笑っている顔に戻りほっと安心したことが思い出される。小さいころはハッピーエンドで終わった物語も今になって読み返すとメッセージの深さに気がつかされることが多い。
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「ちいさいおうち」バージニア・リー・バートン作/いしいももこ訳 岩波書店版

延藤安弘先生は住民参加の街づくりや町育てに、住民と町を繋ぐ方法で建築に関わる。先生は町づくりのミーティングで、大学の講義のように物事の定義や歴史を説明したが住民は全く乗ってこない。そこで絵本を使ったところ、皆、身を乗り出して自分の町に対する想いを発言しはじめた。そのときから絵本の可能性を信じ、コレクションが始まったという。今回はその1500冊のコレクションをお借りして、「住み方の自由」「集まって住まうことの楽しさ」「町は織物」などのカテゴリーに分けて紹介している。環境問題、住まいのあり方、町づくり、いじめ問題、いずれも絵本からの発想の展開に可能性がみえる。激しい開発に行き場を失う猫、多種多様な人が住む集合住宅で世界一周を体験する女の子、市街地を流れるコンクリート護岸川に見つけた鴨の親子、ニューヨークの空を飛び自由の女神の前で宙返りするおばあちゃんと女の子、お互いを尊重しあうことで共に生きる方法を見つけるキツネとモグラ、子どもは絵本を文字から読むのではなく、絵を細部まで観察し読みとり、心の目で想像力の翼をひろげる。大人にとっても絵本はがんじがらめの現実を紐解き、もう一つの新しい方法を創発するきっかけになる。私も小さい時はどこか遠い星の向こうでは猫が話していて、トランプの王様が金時計を逆さに見ていて、七色のオウムガイが海を渡り、ウサギの鞄売りがパーティをしている、と想っていた。絵本をめくるたび、自然と心が柔らかくなり、感性が際立ち、イメージがふわっと広がる。
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「Abuela」Arthur Dorros 作/Elisa Kleven絵 Dutton Children's Books

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GALLRY A4


先生の活動の一つに幻燈会による読み聞かせがあり、今回の展覧会でも音楽会、シンポジウム、ワークショップと3つのイベントで読み聞かせを披露していただいた。絵本を読み解き、想像力の翼を広げながら紡がれる関西弁の言葉から、町づくりや、環境問題の困難極まりない現状を、「もう一つの観点」から「もう一つの方法」を見出す先生の哲学に触れることが出来た。『想像力とはファンタジーでも単なるイメージでもありません。「もう一つの現実」を志し、「もう一つの真実」を構成する能力です。』(展覧会リーフレット前文より)。想像力を喚起し、創発とユーモアを生む絵本の多様な可能性に触れ、感動するひと時を観客は共有した。

今、この展覧会を見た子ども達も、大人になって、未来の子ども達と、絵本を読み返す時が来るだろう。そして、きっと聞くだろう。子どものようなきらきらした目で『ちいさいおうち』覚えている?
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GALLRY A4 手作り絵本ワークショップ

■建築とアートのある風景2

100人の東京駅

「100人の東京駅」展と題して、「写ルンです」で人、建築、人、都市を記憶するという展覧会を行った。一般公募の100人の方々と一緒に暑い盛りの7月29日に撮影した27枚撮り、100人分の写真を一挙展示するというイベントだ。デジタル全盛の今、尚、アナログの、やり直し出来ない、ノントリミング、一回性の緊張感にこだわり、レンズ付フィルム「写ルンです」で、フィルム1枚、1枚とアングルを大切に被写体「東京駅」をじっくり観察した。
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撮影:近藤弘三
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撮影:長谷川幸也
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撮影:松本仁成


 今回被写体となった「東京駅」は、来年(2007.1)より戦前の姿に復原される。竣工当初の東京駅は明治政府の威信をかけ辰野金吾の設計により華麗なルネッサンス風に建設され、大正3年に開業した。当時、上野、新橋、万世橋駅が上り列車の終着駅であったが、その終着駅が高架により東京駅と結ばれることにより、「東京駅」は、東京の中央駅として、皇居へ向かい、きちんと正座した、日本の正面玄関としての役割を果たした。だが、間も無く「東京駅」は昭和20年の空襲により屋根を爆撃されてしまう。戦後、とりあえず、8角形の仮屋根と3階建てを2階建てにした現在の姿で営業を再開した。今、我々が利用しているなじみの深い「東京駅」は仮に建てられたの姿なのだ。だけど、60年の月日は大きい。利用する我々にとっては、旅立ち、出会い、通勤、待合せなど、街の記憶としてすっかり定着した原風景になり、60年もの間、戦後の日本を支えてきた。
 今回総勢117人がこのイベントに参加したが、それぞれの写した東京駅は、新幹線をホームで待つ親子、レストランから見える赤レンガと三角屋根、駅で働く明るい笑顔、中央線のタイムトンネルのようなエスカレーター等々、皆、いきいきと輝いている。高速で働き、通り過ぎ、消費している我々が今回のように同じ条件のもとカメラを構え、立ち止まって時空を共有した一日の表情だ。その3000枚の写真は一つの大きな立体絵となって渦巻状の、泣き笑い、寂しさや思い出とともに撮影者それぞれのクロニクルと重なって、この日一点で交差した。私はそんな風景とのかかわりを大切にしていきたいと思っている。当日参加もしてくださった慶応大学環境情報学部の加藤助教授より良いお話をうかがった。「庶民の文章運動」のひとつとして「ふだん記」をすすめた橋本義夫(1902~1985)のお話だ。消え行くものを「記録する」こと、しかも誰もが自分の言葉でふだん着のような感覚で書き、後世にそのことを伝えていくことの大切さだ。加藤先生は、それは文字に限ったことでなく、また、上手いとか下手ではなく、街の風景や人々を写しておくことの重要さを語り、研究室でもカメラ付ケータイを使った社会調査法の開発に取り組んで映像だけでなく音の採集も含めた、フィールドワークを続けている。そうだ、「普段記」でよいのだ。

 私の撮った27枚も展示されている。

「東京駅の○まる」
この世の中は丸であふれている。丸ビル、信号ドーナッツ、
マンホール、ボタン、おせんべ、丸坊主、丸めがね、時計、
ちょうちん、丸窓、丸いお皿、丸帽子、バックミラー、、。
写真の中にもたくさんの丸が潜んでいる。
だけど、こんなイベントに集まってくれたみんなのご円(縁)
こそ二重丸。みんなで手を繋げて、大きな大団円を作りた
いね。

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撮影:M.Okabe

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撮影:M.Okabe


普段何気なく通り過ぎている風景も時々振返って良く見て欲しい。そんなことが広がれば街はより洗練され、美しくなるに違いない。

建築とアートの間にある風景

 私は企業に勤めて十数年、おもに建築設計を担当していたが、本社の移転にともなって新しく作られた「ギャラリースペース」のディレクションを2年前から手がけることになった。そんな経験から「アートと建築」をテーマに、仕事の苦労話から私の好きなことまでをあれこれ気楽に話してみたいと思う。

◆「不思議な感覚」を与えてくれた彫刻家・祐成政徳の「Another side of Canal」
 私が手がけたギャラリー最初の展覧会は、彫刻家・祐成政徳のインスタレーション「Another side of Canal」だった。ギャラリーは、そのタイトルに後押しされるように運河(Canal)に向けて舟を漕ぎ出した。祐成さんは、作品が置かれる場のコンテクストを読み解き、作品をいったんバラバラな素材までに紐解き、その断片を、周辺の環境と呼応するように配置してあらたな作品空間を作り出す。通過する人や時間がそのアーティスティックな物体と関わり、新たな関係がうまれるような作品を展示した。私は爽やかなその作品から「不思議な感覚」を得た。
 たとえば、こんな感覚である。「空港で人が行き交い、会話の断片や香水の香りを感じた」ときや、「高速道路を車で走り、高層ビルやベイブリッジを駆け抜ける時に切り取られる視界」や、「裸足で冷んやりした畳や陽だまりの板張を触れた感覚」や、「カーテンにくるまってベランダの外を見るような感触」など。それは、ちょっとした非日常を感じるときの感覚と似ている。
 何でもない日常的な空間に、オーバースケールなものや異質なものを置くという操作によって、光が差し、風がとおり、温度が伝わり、目に見えないものが見えてくる。これは私にとっては、ちっぽけな個体である人間と世界と社会と現実、そしてあらゆる物質が関わり合っていることを再認識させ、新鮮な驚きをもたらしてくれた出来事だった。今や、アート作品は美術館を抜け出し、日常的な空間に多く存在しているということが分った!という感じだ。
 祐成さんとは「見る」と「視る」ということの違いや作品に情感が立ち上ることやシークエンスについてたくさんの話をした(いや、もっといろいろな話を聞きたい。アーティストってとてもHappyな生き方をしているんだ)。それは、私に、そんな空間(建築)とアートの間にある風景のために何かしたいな、と思わせてくれた瞬間だった。

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◆「精神と肉体の境界」を融合させる大巻伸嗣の「Liminal Air Descend-2006-」
 さて、現在展示しているのは大巻伸嗣の「Liminal Air Descend-2006-」だ。残念ながら、この原稿を書いているうちに会期は終了してしまう。彼の作品の面白さは、「建築」が領域をつくり、そのインサイドに光や影、内在する人間の視線や動向にシークエンスを求めるのに対し、作品自身の境界をなくし、作品の中に観客を自由に入り込ませることで、普段は見えない空気や光、感覚的な領域や自身の境界線を視覚化することにある。観客は、あたかもアート空間の中に透過し、深海に潜って泳いでいるように感じるだろう。
 大巻クン本人に聞くと、漫画「アキラ」(大友克洋作)で主人公の精神と肉体が融合し、肉体が光に分解されてエネルギーに変化するシーンにインスピレーションを受け、「精神空間と肉体空間の境界」を作品にしたという。
 大巻作品の無数に垂れ下がる白線の中に吸い込まれていく観客をみていると、情報で溢れる社会に飲み込まれ、彷徨う現代社会をみている様でもある。上下とか組織と個人とか、国内と海外とか、自然と人工とか、そんなものが崩壊している社会を映しているようにも感じる。また私自身も無心に観客となって作品の中に身をゆだねてみると、空から降下したジャックの豆の木のように見える糸に導かれるように、自身の感性の指先を伸ばしたくなる。そんな感性の領域が肉体からはなれて、どこにあるのか感じてみるのが新鮮であり、ちょっと怖い作品だ。

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◆「建築」の変容過程とアートとの出会いを楽しみに
 そんな現代アートの作品展示を年2本、他に建築系企画を年6本をヒイヒイ言つつも、楽しみながら続けている。このギャラリーのコンセプトは「建築・愉しむ」というもので、建築やアートの専門家だけでなく、多くの分野の方々に建築の周辺にある多様な事象を紹介して愉しんでもらおうというものである。その「建築」の周辺ということを考ようとすると、その領域や境界は限りなく、あらゆる事象が編集された「建築」の様に思える。
 「建築」は、先の二つのアート作品ほど挑発的ではないが、その「境界」というインターフェイス空間(環境と身体、内部と外部、個と地域等々)の活性化が計画のキーポイントになる。「建築」側からも境界の活性化が起こっている。多くの空間作品に関わる作家が、様々な方法によって感情の増幅や感覚の拡張を狙い、記憶を刺激し、日ごろ見えないものを視覚化しようと試みている。そのような動向は、私たちが記号化しきれない感動や、不安、愛情や想像力、曖昧さや、儚さやといった質感に支配されていることが多いことに気が付いているからだ。また、それは今私たちが失いつつある、原風景や経験にもとづく感性を振り返り、変わり行くものに心を呼び戻してくれるのではないだろうか。
 建築は20年、50年あるいは100年というスパンで、変わらないことを前提に構築されている様である。が、実はそうではなく、長い時間の中で変わって行くものを包みこみ、内にある物質の変容を映す鏡のようなものだ。竣工したときが建築の完成で、一番かっこいいのではない。人が入居して、家具が配置され、そこで生活する。多くの人が集まり、営み、アートが介在する。そんな過程で、境界空間が活性化して周囲と関わりながら、都市へと還流していく。建築は、その過程で輝き出せばよいと思う。
 そんな「建築とアート」の間や周辺を行き来することを書いていけたらと思う。ギャラリーのHP→http://www.a-quad.jp

『GALLERY A4

NAVIGATOR

岡部三知代(GALLERY A4ディレクター)
某総合建設会社にて計画設計を担当する。 2004年よりギャラリー企画立上げメンバーとなり、建築を背景とした展覧会を次々と企画実施中。 ISIS編集学校第2期、育児休業中に入門。第5期「すっぴんロケット教室」師範代を担当。

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