建築とアートの間にある風景
私は企業に勤めて十数年、おもに建築設計を担当していたが、本社の移転にともなって新しく作られた「ギャラリースペース」のディレクションを2年前から手がけることになった。そんな経験から「アートと建築」をテーマに、仕事の苦労話から私の好きなことまでをあれこれ気楽に話してみたいと思う。
◆「不思議な感覚」を与えてくれた彫刻家・祐成政徳の「Another side of Canal」
私が手がけたギャラリー最初の展覧会は、彫刻家・祐成政徳のインスタレーション「Another side of Canal」だった。ギャラリーは、そのタイトルに後押しされるように運河(Canal)に向けて舟を漕ぎ出した。祐成さんは、作品が置かれる場のコンテクストを読み解き、作品をいったんバラバラな素材までに紐解き、その断片を、周辺の環境と呼応するように配置してあらたな作品空間を作り出す。通過する人や時間がそのアーティスティックな物体と関わり、新たな関係がうまれるような作品を展示した。私は爽やかなその作品から「不思議な感覚」を得た。
たとえば、こんな感覚である。「空港で人が行き交い、会話の断片や香水の香りを感じた」ときや、「高速道路を車で走り、高層ビルやベイブリッジを駆け抜ける時に切り取られる視界」や、「裸足で冷んやりした畳や陽だまりの板張を触れた感覚」や、「カーテンにくるまってベランダの外を見るような感触」など。それは、ちょっとした非日常を感じるときの感覚と似ている。
何でもない日常的な空間に、オーバースケールなものや異質なものを置くという操作によって、光が差し、風がとおり、温度が伝わり、目に見えないものが見えてくる。これは私にとっては、ちっぽけな個体である人間と世界と社会と現実、そしてあらゆる物質が関わり合っていることを再認識させ、新鮮な驚きをもたらしてくれた出来事だった。今や、アート作品は美術館を抜け出し、日常的な空間に多く存在しているということが分った!という感じだ。
祐成さんとは「見る」と「視る」ということの違いや作品に情感が立ち上ることやシークエンスについてたくさんの話をした(いや、もっといろいろな話を聞きたい。アーティストってとてもHappyな生き方をしているんだ)。それは、私に、そんな空間(建築)とアートの間にある風景のために何かしたいな、と思わせてくれた瞬間だった。

◆「精神と肉体の境界」を融合させる大巻伸嗣の「Liminal Air Descend-2006-」
さて、現在展示しているのは大巻伸嗣の「Liminal Air Descend-2006-」だ。残念ながら、この原稿を書いているうちに会期は終了してしまう。彼の作品の面白さは、「建築」が領域をつくり、そのインサイドに光や影、内在する人間の視線や動向にシークエンスを求めるのに対し、作品自身の境界をなくし、作品の中に観客を自由に入り込ませることで、普段は見えない空気や光、感覚的な領域や自身の境界線を視覚化することにある。観客は、あたかもアート空間の中に透過し、深海に潜って泳いでいるように感じるだろう。
大巻クン本人に聞くと、漫画「アキラ」(大友克洋作)で主人公の精神と肉体が融合し、肉体が光に分解されてエネルギーに変化するシーンにインスピレーションを受け、「精神空間と肉体空間の境界」を作品にしたという。
大巻作品の無数に垂れ下がる白線の中に吸い込まれていく観客をみていると、情報で溢れる社会に飲み込まれ、彷徨う現代社会をみている様でもある。上下とか組織と個人とか、国内と海外とか、自然と人工とか、そんなものが崩壊している社会を映しているようにも感じる。また私自身も無心に観客となって作品の中に身をゆだねてみると、空から降下したジャックの豆の木のように見える糸に導かれるように、自身の感性の指先を伸ばしたくなる。そんな感性の領域が肉体からはなれて、どこにあるのか感じてみるのが新鮮であり、ちょっと怖い作品だ。


◆「建築」の変容過程とアートとの出会いを楽しみに
そんな現代アートの作品展示を年2本、他に建築系企画を年6本をヒイヒイ言つつも、楽しみながら続けている。このギャラリーのコンセプトは「建築・愉しむ」というもので、建築やアートの専門家だけでなく、多くの分野の方々に建築の周辺にある多様な事象を紹介して愉しんでもらおうというものである。その「建築」の周辺ということを考ようとすると、その領域や境界は限りなく、あらゆる事象が編集された「建築」の様に思える。
「建築」は、先の二つのアート作品ほど挑発的ではないが、その「境界」というインターフェイス空間(環境と身体、内部と外部、個と地域等々)の活性化が計画のキーポイントになる。「建築」側からも境界の活性化が起こっている。多くの空間作品に関わる作家が、様々な方法によって感情の増幅や感覚の拡張を狙い、記憶を刺激し、日ごろ見えないものを視覚化しようと試みている。そのような動向は、私たちが記号化しきれない感動や、不安、愛情や想像力、曖昧さや、儚さやといった質感に支配されていることが多いことに気が付いているからだ。また、それは今私たちが失いつつある、原風景や経験にもとづく感性を振り返り、変わり行くものに心を呼び戻してくれるのではないだろうか。
建築は20年、50年あるいは100年というスパンで、変わらないことを前提に構築されている様である。が、実はそうではなく、長い時間の中で変わって行くものを包みこみ、内にある物質の変容を映す鏡のようなものだ。竣工したときが建築の完成で、一番かっこいいのではない。人が入居して、家具が配置され、そこで生活する。多くの人が集まり、営み、アートが介在する。そんな過程で、境界空間が活性化して周囲と関わりながら、都市へと還流していく。建築は、その過程で輝き出せばよいと思う。
そんな「建築とアート」の間や周辺を行き来することを書いていけたらと思う。ギャラリーのHP→http://www.a-quad.jp






