■建築とアートのある風景2
100人の東京駅
「100人の東京駅」展と題して、「写ルンです」で人、建築、人、都市を記憶するという展覧会を行った。一般公募の100人の方々と一緒に暑い盛りの7月29日に撮影した27枚撮り、100人分の写真を一挙展示するというイベントだ。デジタル全盛の今、尚、アナログの、やり直し出来ない、ノントリミング、一回性の緊張感にこだわり、レンズ付フィルム「写ルンです」で、フィルム1枚、1枚とアングルを大切に被写体「東京駅」をじっくり観察した。
撮影:近藤弘三

撮影:長谷川幸也

撮影:松本仁成
今回被写体となった「東京駅」は、来年(2007.1)より戦前の姿に復原される。竣工当初の東京駅は明治政府の威信をかけ辰野金吾の設計により華麗なルネッサンス風に建設され、大正3年に開業した。当時、上野、新橋、万世橋駅が上り列車の終着駅であったが、その終着駅が高架により東京駅と結ばれることにより、「東京駅」は、東京の中央駅として、皇居へ向かい、きちんと正座した、日本の正面玄関としての役割を果たした。だが、間も無く「東京駅」は昭和20年の空襲により屋根を爆撃されてしまう。戦後、とりあえず、8角形の仮屋根と3階建てを2階建てにした現在の姿で営業を再開した。今、我々が利用しているなじみの深い「東京駅」は仮に建てられたの姿なのだ。だけど、60年の月日は大きい。利用する我々にとっては、旅立ち、出会い、通勤、待合せなど、街の記憶としてすっかり定着した原風景になり、60年もの間、戦後の日本を支えてきた。
今回総勢117人がこのイベントに参加したが、それぞれの写した東京駅は、新幹線をホームで待つ親子、レストランから見える赤レンガと三角屋根、駅で働く明るい笑顔、中央線のタイムトンネルのようなエスカレーター等々、皆、いきいきと輝いている。高速で働き、通り過ぎ、消費している我々が今回のように同じ条件のもとカメラを構え、立ち止まって時空を共有した一日の表情だ。その3000枚の写真は一つの大きな立体絵となって渦巻状の、泣き笑い、寂しさや思い出とともに撮影者それぞれのクロニクルと重なって、この日一点で交差した。私はそんな風景とのかかわりを大切にしていきたいと思っている。当日参加もしてくださった慶応大学環境情報学部の加藤助教授より良いお話をうかがった。「庶民の文章運動」のひとつとして「ふだん記」をすすめた橋本義夫(1902~1985)のお話だ。消え行くものを「記録する」こと、しかも誰もが自分の言葉でふだん着のような感覚で書き、後世にそのことを伝えていくことの大切さだ。加藤先生は、それは文字に限ったことでなく、また、上手いとか下手ではなく、街の風景や人々を写しておくことの重要さを語り、研究室でもカメラ付ケータイを使った社会調査法の開発に取り組んで映像だけでなく音の採集も含めた、フィールドワークを続けている。そうだ、「普段記」でよいのだ。
私の撮った27枚も展示されている。
「東京駅の○まる」
この世の中は丸であふれている。丸ビル、信号ドーナッツ、
マンホール、ボタン、おせんべ、丸坊主、丸めがね、時計、
ちょうちん、丸窓、丸いお皿、丸帽子、バックミラー、、。
写真の中にもたくさんの丸が潜んでいる。
だけど、こんなイベントに集まってくれたみんなのご円(縁)
こそ二重丸。みんなで手を繋げて、大きな大団円を作りた
いね。

撮影:M.Okabe

撮影:M.Okabe
普段何気なく通り過ぎている風景も時々振返って良く見て欲しい。そんなことが広がれば街はより洗練され、美しくなるに違いない。






