様々な制度や方法論が行き詰っている。やみくもに前に進んでいればそれなりにつじつまが合う時代は過ぎ去った。
時代は「編集」を求めている。
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2006年02月23日

第4夜 SILENCE

落日の天使

力なく横たわる兵士の体にけつまずいた時
さっきまで、僕の頭があったあたりを銃弾がかすめていった。
髪の毛が一房飛ばされる

体の芯が重く、何も感じなくなっている。
次はボクの番かもしれない
ここから逃げ出さなきゃ
でもどこに

どうしてボクはここにいるのだろう。
去年の今ごろは、ダンスパーティーに誰を誘うかで
頭を悩ましていたのに
泥だらけになって、この世の地獄を這いずり回っている

どこかに被弾したみたいだ
もう歩けない

目を閉じるとき、目の前にオレンジ色の太陽が沈むのが見えた。

ボクは、ずっと眺めていた
白い灰が音も無く降り積もって行くのを。
力無くうなだれる、年老いた天使たちの肩越しに
落日の砂漠で






*note*

BGM Silence / dip in the pool





Silenceというタイトル通り、静謐な印象を受ける美しい曲。
木村達司のつくるトラックは、どこまでも美しく、
すべてのものを漂泊してしまう、それだけで完成された世界。
でも閉じられたイメージも無機質な印象も受けません。

音数は少ないのに豊穣。
広がりのあるとてもリッチな音世界なのに、
時に無音のような印象を受けるでしょう。

足し算ではなくて、引き算でつくられた世界
音の壁をつくり、いろんな色を塗りこめて行くのではなく
墨一色で万華鏡のような世界を創り上げる水墨画のように
モノクロームの写真が何よりも豊かなイメージをかきたてるように
17文字に世界を封じ込める俳句のように
音が鳴っていない瞬間をいかに大切にするか
音楽は音のないところから響いてきます

雪が積もり、すべての音が吸収されてしまった朝の景色。
世の中の醜いもの汚いものも雪に覆い尽くされ、
その一面の白い世界に立ち尽くすとき、
自分の中のノイズや歪みや澱みが溶けていき、
少しだけ透明になれた気がします。

dip in the poolの音楽は、前夜から積もった早朝の雪。
凛とはりつめた空気。
眠るときにヘッドフォンで聞いていると、天使が舞い降りてきます。
いや、あなた自身が天使となり、時空の彼方に飛んでいくでしょう。

神無き時代の賛美歌・・・・・・


*1986年発売のアルバム dip in the poolに収録
1. Rabo del sol 2.Facing the sea 3.はすのえにし
4.Sur le pois 5.Silence 6.ひなまり 7.View
8.AGAIN 9.spring from the surface 10.Dormir
*dip in the pool
甲田益也子と木村達司による男女ユニット。1983年結成。
1985年「dip in the pool」(マキシシングル)で国内デビュー。
「Silence」(アルバム)で英国ラフ・トレードよりヨーロッパデビュー

木村がプログラミングと作曲・編曲担当、
甲田益也子が主に作詞とVocalを担当

*甲田益也子
甲田益也子さんは資生堂のPR誌「花椿」表紙モデルに応募し、デビュー。
1982年から1984年まで雑誌ananの専属モデルをつとめた。
その頃ピンクハウスがブレイクした。
89年周防正行監督作品「ファンシーダンス」で映画初出演。
99年に手塚眞監督作品「白痴」に出演。


2006年02月14日

第3夜「人にやさしく」

「月の夜、星の夜」

心がざわざわと騒ぐ夜には
窓をあけて、空を見上げよう。
月がきれいな夜なら、
灯りを消して
耳を傾けよう
そして夜に祈ろう
星々が綺羅めく音を聴くことができるかもしれない
あなたのために、
祈ってくれている誰かを感じることができるかもしれない

雨の中、遠くを走る車の音を聞きながら
深夜のラジオを
ボリュームを落として
昔流行った安っぽいバラードを聴いている
誰も二人の熱い思いに気がつかないように

一晩中かけて言葉は語り尽くしたけれど
まだ、伝えきれない思いを抱きながら
線路伝いに、石ころを蹴りながら歩いた
キミの瞳には、ボクに似た見知らぬ男が映っていた
ボクは蒸し暑い夜に向かってつぶやく
それはボクじゃないよ

 ティーンネイジという名の熱を帯びた時代に
 狂うこともできず
 キミの耳もとから香る微かなパヒュームの匂いに
 終わりを予感した
 朝刊が配られる音を聴きながら
 キミの寝顔を見ていた16の朝

「ユメハメザメタトキニハオワッテイルモノ」

そんな大人たちの言葉に反発しながら
言い返す言葉を持たなかったボクら
今のボクなら、こうこたえるだろう

「ユメハオワルコトノナイモノガタリダ」

ボクは今でも夢の中に住んでいる
どんなに年老いても、そこでは15のまま
あの夜、キミがかけた魔法は今でも生きている。
時折、キミの鼓動を感じることがある
そんな時、二人が歩くことのなかった道を
まぶたの裏に見る

放課後の校庭で
何も言わず、背を向けたボクに
キミがかけた言葉
「この先私たちが年をとって、世界や世の中の人がどんなに変わっても
私自身、変わってしまうかもしれないけど、
あなたは、ずっと、いつまでも優しいままでいてね」
ボクはあの時のキミの言葉に応えるために
月がキレイな夜に祈りを捧げよう

すべての心やさしき迷い人のために
キミのために
ボクのために
記憶の中の彼女のために
彼のために

星たちの囁きを届けよう。






*note*

BGM 人にやさしく / The Blue Hearts




“どぶねずみみたいに美しくなりたい”



名フレーズで有名な「リンダリンダ」も捨てがたいですが、
「人にやさしく」という身も蓋もない、あまりにベタな言葉
 ひねりも何もないタイトルのこの曲は、
それまでの斜に構えたRockの歌詞に革命を起こしたといっても良いでしょう。

童謡のようなメロディも革命的でした。
西洋の音楽としてのRockにおけるある種の居心地の悪さや、
洋楽へのコンプレックスなど微塵も感じさせない。
新しい日本のrockの誕生でした。
発明といっても良いような気がします。

その後、フォロワーが沢山現れ、
今もBlue Hearts Childrenといえるようなバンドが出ては消えていきます。
ブルーハーツ以前の日本のPunk Rockにはリアリティを感じなかった。
日本にはストリートなど存在しないし、
東京は燃えていないし、日本にキッズなどいたことはない。
パンクバンドの歌詞が借り物に見えたのは、
ある意味必然でした。

でも、豊かなこの国の子どもたちが抱える絶望は、
ロンドンのストリートにたむろするキッズたちのそれと比べても、
はるかに深いものであると思います。

予め失われた世代、
何でもあるけど、
大切なものは決して手に入らないこの国に生きること。
十代を過ごすことのしんどさや、
でも、そんな中でも大切なものを諦めない。
くそったれの世界につばをはくのではなく、
だからこそ、毎日の灰色の日常を
精一杯生き抜こうという誓いのようなものを、
ブルーハーツの歌詞に感じたものです。

彼らがいなければ、
ハイスタンダードも、Eastern YouthもELLEGARDENも
出てこなかったんじゃないか。
少なくとも、
あと5年は日本のパンクシーンは遅れていたんじゃないか。

ボクにとって沢山、重要なバンドはあるけれど、
ブルーハーツもまたかけがえのないバンドでした。
ヒロトの逝ってしまったような目と痙攣するような動きは、
演出されたものではなく、
若かったころの町田町蔵(今の町田康)のすべてを射抜くような眼力、
大江慎也の思いっきり不器用なぎこちないボーカルとともに、
日本のロックを語る上でかかせないものと思います。

 人に優しく

うわついたどうでもいい言葉に聞こえてしまう
そんな危険をはらんだ言葉を
あえて選んでしまう
ヒロトのこころのありかたに共感します。

それこそが編集のような気がします。

ボクらはすでに名づけられたものの中で暮らしています。
テレビもパソコンもケータイも、ロックンロールも
あらゆるものが、予め名づけられた状態で
でも、そのまま使っていたのでは前に進むことも、
その場に踏みとどまることもできない

すでに名づけられたものを、新しい言葉で表すこと
あるいは、
すでに名づけられたものにまったく新しい意味を見出すこと。

そのことが編集であり、世界をリミックスすることです。

ブルーハーツは、手垢のついた言葉に魔法をかけて、
無垢な感情、生まれたての感動を表現する。

やさしいという言葉が持つ、本来の力を取り戻すこと
思えばブルーハーツの歴史はその連続だったように思う。

ボクらが生まれたときから遺伝子の中に刷り込まれている
懐かしい旋律に
もう一度力を与えるための戦い。

ボクにとってブルーハーツの音楽は
幼心を取り戻すための装置であったといえるでしょう。

2006年02月09日

第2夜 ひばりの心

〜水曜日の王国〜

月曜は哀しい
火曜は激しい
そして水曜日は切ない


水曜日の午後の公園で
少しだけ暖かくなった陽射しの中
ゴールデンレトリバーのルーと二人、
ベンチに座っていたら
哀しいほどの空の青さが目にしみた

丘に登って見渡してみれば
乾いた町並みが、車の流れが、人の姿が、まるで嘘のよう。
きっと誰もが自分だけの場所を守ることに夢中なんだろう

  ボクは自分の孤独を抱きしめることで精一杯

空っぽの心を抱えたまま
蕾をつけ始めたサクラの木にもたれかかってルーの頭をなでる
なんて平和な時間だろう
静かに流れていく時に身を任せて、
もう少し、このままでいたい

見上げれば落ちてしまいそうな青い空を
雲が流れていく
悲しみも苦しみも全部抱きしめて、
愛おしんでいけたら
魂はあの空へと羽ばたいていけるだろうか

ボクらはse・tsu・naい時間を生きている
未来を思い、過去を忍んでしか生きていけない
そのようなあり方でしか存在できない
imaは記憶の中にしかなく
気が付けばkinouという時の塊の中に消えていく
今この時を永遠に生きることはできないのだろうか

  木曜は気怠い
  金曜はまだ見ぬ明日
  土曜は遙か彼方
  日曜はキラキラと水面に映る光、カーテンに映る木漏れ日


ボクの魂は今、水曜日の王国で
imaを抱きしめている

*note*

BGM ひばりの心 / スピッツ

 草野正宗の清潔で好青年風ルックスと、優しい声のせいで、
なんとなく優しいバンド、優等生的なバンドのような印象を持つ人もいるでしょう。
牧歌的な印象を抱かれる方もいるかもしれません。
でも、歌詞をよく読んでみれば分かるのですが、
耳障りの良い言葉の裏には、とても残酷な感情が隠されていたりします。
「ひばりの心」は1990年3月21日に、
ミストラルというインディーレーベルから発売されたミニアルバムのタイトルでもあります。
メジャーデビューアルバムにもおさめられたこの曲は、
夢に向かって進んで行こうとする彼らの気負いと不安を比較的ストレートに表した曲で、
ボクのフェイバリットソングです。
この混沌とした世界に染まることなく、どこまでも美しいままで強くいきていくんだという決意を、
ひばりの心に託して力強く歌っています。

比類なく美しい歌詞と魅力的な声、一度聴くと耳について離れないポップな楽曲にも関わらず、
スピッツが、長い間セールス的には今ひとつだったのは、
草野正宗が描く世界があまりに研ぎすまされていたからでしょう。
繊細すぎて、少しばかりわかりにくかったためだと思われます。
今の時代分かりやすいものがもてはやされます。
初期の頃の彼らは
あまりに純粋であるが故に不純なもの、生々しい感情はデリートされ、
思春期以前の少年、少女のみが持ち得た
美しいものへの絶対的な信仰を柔らかい言葉で綴っていました。


彼らがブレイクしたのは、より平易な言葉遣いで、
分かりやすい歌詞と耳当たりの良い音をつむぐようになってからです。
それまでの彼らに感じられた、ある種の拘りのようなものを捨てた。
そのようにも見えました。
実際に歌詞の中に愛とか恋とか普通の言葉が見られるようになったし
「愛している」などと、かつての草野さんなら絶対使わなかったフレーズも
頻繁にあらわれるようになりました。

 でもマスに届くように、見た目は分かりやすくなっても
 その中身を変えることはなかったのでした。

一聴すると、POPなメロディと優しい言葉にだまされて、
おとぎ話の世界に迷い込んだかのような錯覚に陥りますが、
世のおとぎ話のほとんどがそうであるように、
実はとても残酷でエロティックな世界へ僕らを誘惑します。

 アルバム「ハチミツ」に収録された「ロビンソン」がミリオンセラーとなってから、
過去のアルバムの楽曲も次々と売れていきました。
 
しかし、どれだけメジャーになっても草野正宗の眼差しは驚くほど変わりません。
売れてしまったことによるプレッシャーも本当のところはあったのでしょう、
ロックバンドとしての体力増強に悩んだ時期もありました。
でも、最近の彼らを見ていると
スピッツがスピッツであることを潔く引き受けたように思います。

草野正宗はどこまでも普通の青年風でありながら、
ますます歌詞に潜ませた毒の殺傷力は強まっています。
毒を包むキャンディはますます甘美に優しく儚くなっています。

成熟することと、変わらずにいること。


スピッツの曲を聴くといつも、このことを思わずにいられません。
そして、ボク自身、迷うことがあったとき
彼らの「ひばりの心」を聴くようにしています。
この曲の中にこそ、

 変わらずにいることと成熟すること

を同時にやってのけたスピッツのミラクルが隠されているから。

2006年02月03日

第1夜 キズナソング

~天国注射の夜 すべての孤独な魂たちに捧げる ~
意味もなくいらつき、ささくれだってしまいそうな気分の中、
穏やかな笑顔と分別を纏って生きて行かねばならない。
そんな自分を、もう1人の自分は、
いつも冷笑と揶揄を込めて見守っている。
見えないふりをしたり意識的に感受性を曇らせておかないと、
今の世の中で真摯に生きていくのはキツイ。
でも、ボクは血の涙を流しても、
曇った鏡にはなりたくない。

すべての愛すべき天使たちよ、
もう眠りについたでしょうか。

今ボクは真夜中の静寂の中にいますが、
もし完全な無音の中に放り込まれたら、
自分の心臓や呼吸の音に発狂しそうになるのではないか

そう思います。

むしろ地下鉄の轟音や窓を打つ豪雨の中にいるときにこそ、
静寂を感じます。
その沈黙の音を感じるとき、自分の存在が無になったような、
微妙な振動をともなう幸福に永遠を感じます。
今鼓動さえも吸い込んでしまいそうな夜の静寂の中で
独り孤独を抱きしめています。

ボクはずっと双子の片割れを探し求めてきました。
それは物心つく前から。
出会えたと思えても錯覚だったり、その人を失ったり。
でも、また自分で気づかない内に出会ってしまっている。
そういうものだろうと思うのです。
強く求める気持ちは魂の奥の方であっても、
それを意識しないでいるときにいつの間にか傍らに立っている。
そういうものなのではと思ったりします。

魂の双子、かつてボクにも、そのような人がいました。
いまはボクの記憶の中にいます。
その人の魂が暗い土の下にいるわけはなく、
だから、ボクは2年たつ今も
お墓には行ったことがないし、これからも行かないでしょう。

二つの体に宿った一つの魂。
別の体に引き裂かれたことを哀しむことはない、
二つの体を持てたからこそ、抱き合うことも
愛し合うこともできた

でも今はボクの記憶の中で、
二つの孤独な魂は、溶け合い一つになった

3月1日、風が強い日
空には、雲が流れていた。
埃っぽい通りに、アマチュアバンドのフライヤーが舞っていた
恵比寿の交番前
日比谷線の出口から、出てくる人を
ボクはエスカレータの下で眺めていた。

鞄を提げて、目の前に現れたキミは
おじぎをして、はにかむように微笑んだ
その時の白い歯がまぶしかったのをおぼえている

その日は寒くて、吐く息も白く
ボクらはかじかんだ手を、ポケットの中で温めた
そして、あまりしゃべることもなく
ただただ、歩いたね
恵比寿から広尾まで、
手をつないで歩いた
有栖川公園のベンチで手相を見てくれたね
近所の小学生に冷やかされて、真っ赤になったキミの横で
ボクもまた、照れくさかった。

ボクは、この先いろんなことを忘れていくだろう
でも、初めて出逢ったときの
空の色や風のにおいは
ボクがこのセカイにサヨナラをする日まで
記憶の片隅に残っていくだろう
そのときキミに言えなかった言葉を
最後の瞬間につぶやくだろう
会いに来てくれてありがとう
あなたが、この世界にいてくれて、
ボクは嬉しかったよ

キミのいない世界にも、もう慣れたけど
時々は天国からそっとのぞいて欲しい
ボクは元気でやっています。






*note*

BGM キズナソング / The Back Horn




“誰もがみんな幸せであるなら

 歌なんて生まれないさ”




The Back Hornの「キズナソング」はこのように歌い出される。 みんなが幸せであるはずもなく、 この世には哀しみがあふれていることを、
誰よりも知っている彼らは、“ありふれた小さなキズナで良い ” と言い、 “だけど時は過ぎ悲しみは巡る。そして歌が生まれ僕ら綺麗になっていく、日射しの中で”
という言葉で締めくくる 。

The Back Hornはいよいよ覚悟を決めたのだろう。

 “不条理で糞のような世界への呪詛を

  ぶちまけるのではなく

  世界が悲しみで染まっていくのなら

  例え小さなキズナでも良いから

  そっと命を重ねるように

  少しだけ、世界がステキに見えるように

  歌を歌っていこう”

そう決めたということだ。

いつになく 穏やかな声で歌われるこの歌は、しかし、過去のどの作品よりも力強い。演奏も山田将司の歌をいかに響かせるか、そのことを第一に考えている。優しい旋律と、シンプルで控えめなメッセージにすべての思いを託して、ギターもドラムもベースも、例え一瞬でも世界が輝きを取り戻し愛おしく思えるように、そのためだけに鳴っている。


The Backhornは、山田将司の書く繊細で情緒的なメロディを強靱なリズムと轟音で包み、武装してきた。それが彼らの特徴でもあり武器だった。
今回は、あえて、その武器を捨てて、余計な音を極力廃し、 核になるメロディを際だたせる方法をとった。 言葉も文学的な表現やレトリックを捨てて、稚拙なまでにまっすぐに思いを綴っている。
飾りを捨てることでかえってメッセージが強くなることを彼らは学んだのだろう。 何を加えるかより、何を捨てるか、それが問題なのだ。 「イキルサイノウ」、「コバルトブルー」と、少しずつ変容してきたThe
Back Hornがついに自分たちの依って立つ場所を確立した 記念すべき曲ここから彼らの新しい物語が始まった。

2006年02月02日

Rimix the world〜introduction

優れたPOP MUSICは、時代の気分や今を生きるボクらの日常を切り取って世界を解体し、隠された物語を見せてくれる。モノクロームの世界は、虹色に輝き、つまらない日常も違って見える3分間のマジック。

音楽に触れたときに湧き上がる感情と衝動、命の波動、それらの名づけようがないモノに言葉を与え、曲の持つ世界観を再編集し、もう一つの物語を紡いでいきたい…というのが、このブログの狙いです。

なので、毎回曲にインスパイヤされて綴る終章だけの<小説モドキ>ないしは<詩のようなもの>と、曲解説を載せたいなぁと思います。

アーティストが、どんな技法を使って世界を編集しているか、曲解説の中で触れたいと思います。

倉田 慎一


第201夜 佐藤良明
『J-POP進化論』
ヨナ抜き都節のポップス
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