第2夜 ひばりの心
〜水曜日の王国〜
月曜は哀しい
火曜は激しい
そして水曜日は切ない
水曜日の午後の公園で
少しだけ暖かくなった陽射しの中
ゴールデンレトリバーのルーと二人、
ベンチに座っていたら
哀しいほどの空の青さが目にしみた
丘に登って見渡してみれば
乾いた町並みが、車の流れが、人の姿が、まるで嘘のよう。
きっと誰もが自分だけの場所を守ることに夢中なんだろう
ボクは自分の孤独を抱きしめることで精一杯
空っぽの心を抱えたまま
蕾をつけ始めたサクラの木にもたれかかってルーの頭をなでる
なんて平和な時間だろう
静かに流れていく時に身を任せて、
もう少し、このままでいたい
見上げれば落ちてしまいそうな青い空を
雲が流れていく
悲しみも苦しみも全部抱きしめて、
愛おしんでいけたら
魂はあの空へと羽ばたいていけるだろうか
ボクらはse・tsu・naい時間を生きている
未来を思い、過去を忍んでしか生きていけない
そのようなあり方でしか存在できない
imaは記憶の中にしかなく
気が付けばkinouという時の塊の中に消えていく
今この時を永遠に生きることはできないのだろうか
木曜は気怠い
金曜はまだ見ぬ明日
土曜は遙か彼方
日曜はキラキラと水面に映る光、カーテンに映る木漏れ日
ボクの魂は今、水曜日の王国で
imaを抱きしめている
*note*
BGM ひばりの心 / スピッツ
草野正宗の清潔で好青年風ルックスと、優しい声のせいで、
なんとなく優しいバンド、優等生的なバンドのような印象を持つ人もいるでしょう。
牧歌的な印象を抱かれる方もいるかもしれません。
でも、歌詞をよく読んでみれば分かるのですが、
耳障りの良い言葉の裏には、とても残酷な感情が隠されていたりします。
「ひばりの心」は1990年3月21日に、
ミストラルというインディーレーベルから発売されたミニアルバムのタイトルでもあります。
メジャーデビューアルバムにもおさめられたこの曲は、
夢に向かって進んで行こうとする彼らの気負いと不安を比較的ストレートに表した曲で、
ボクのフェイバリットソングです。
この混沌とした世界に染まることなく、どこまでも美しいままで強くいきていくんだという決意を、
ひばりの心に託して力強く歌っています。
比類なく美しい歌詞と魅力的な声、一度聴くと耳について離れないポップな楽曲にも関わらず、
スピッツが、長い間セールス的には今ひとつだったのは、
草野正宗が描く世界があまりに研ぎすまされていたからでしょう。
繊細すぎて、少しばかりわかりにくかったためだと思われます。
今の時代分かりやすいものがもてはやされます。
初期の頃の彼らは
あまりに純粋であるが故に不純なもの、生々しい感情はデリートされ、
思春期以前の少年、少女のみが持ち得た
美しいものへの絶対的な信仰を柔らかい言葉で綴っていました。
彼らがブレイクしたのは、より平易な言葉遣いで、
分かりやすい歌詞と耳当たりの良い音をつむぐようになってからです。
それまでの彼らに感じられた、ある種の拘りのようなものを捨てた。
そのようにも見えました。
実際に歌詞の中に愛とか恋とか普通の言葉が見られるようになったし
「愛している」などと、かつての草野さんなら絶対使わなかったフレーズも
頻繁にあらわれるようになりました。
でもマスに届くように、見た目は分かりやすくなっても
その中身を変えることはなかったのでした。
一聴すると、POPなメロディと優しい言葉にだまされて、
おとぎ話の世界に迷い込んだかのような錯覚に陥りますが、
世のおとぎ話のほとんどがそうであるように、
実はとても残酷でエロティックな世界へ僕らを誘惑します。
アルバム「ハチミツ」に収録された「ロビンソン」がミリオンセラーとなってから、
過去のアルバムの楽曲も次々と売れていきました。
しかし、どれだけメジャーになっても草野正宗の眼差しは驚くほど変わりません。
売れてしまったことによるプレッシャーも本当のところはあったのでしょう、
ロックバンドとしての体力増強に悩んだ時期もありました。
でも、最近の彼らを見ていると
スピッツがスピッツであることを潔く引き受けたように思います。
草野正宗はどこまでも普通の青年風でありながら、
ますます歌詞に潜ませた毒の殺傷力は強まっています。
毒を包むキャンディはますます甘美に優しく儚くなっています。
成熟することと、変わらずにいること。
スピッツの曲を聴くといつも、このことを思わずにいられません。
そして、ボク自身、迷うことがあったとき
彼らの「ひばりの心」を聴くようにしています。
この曲の中にこそ、
変わらずにいることと成熟すること
を同時にやってのけたスピッツのミラクルが隠されているから。






