琳派とイメージマップ
企画がらみで、琳派について考えている。
基本的に、識者の方へのインタビューで構成するつもりでいる。
とはいえ、聞き手であるこちら側に
イメージマップがないと、何を聞いていいかすら判らないわけで。
そもそも、師匠ー弟子、といった形での直接の繋がりを越えた「様式」の名称とも言える「琳派」。
そこで、対置軸に設定するのは俵屋宗達と、尾形光琳だろうか。
ごくザックリと言えば、奥行き・空気感の宗達、面構成の光琳。
日本画科出身の村上隆がたどり着いた「スーパーフラット」の
源流は、やはり光琳的な面構成か。
とすると、やはり光琳ー宗達という対置に重なるのは、
ベジェ曲線で成り立つ村上隆・スーパーフラットに対し
ビットマップアートの中ザワヒデキ、というところだろうか。
(「方法」というメディアの中で中ザワ自身がそう書いていたなぁ。)
なんてことを考えながら。
やっぱり、「宗達ー光琳」という軸を一本、設定しただけでは物足りない。
例えば、「狩野派」はどうするのか、
「応挙」は、あるいは「鈴木其一」はどうなるのか。
テーマが、どのようにしたら立体的なものになるか考えてみる。
聞き手の中の地図をできるだけ立体的なものにして、
様々なフック(引っかかり)を作っておかないと、
インタビュー取材をしても、単に自分が知っていることを相手の口から言わせるか、あるいは単なる受講生になってしまう。
(もちろん、ジャーナリズム、という意味ではある事柄の確認を相手の口から聞く、というのもインタビューとして意味があるわけだけれど、ここではとりあえずそれは外して。)
画面の所々を覆う、金の雲。
あれを取り払った、澄んだ空気感が宗達だとすれば狩野派では、やはり金雲がたなびいている。
光琳においては、画というイリュージョンが作り出す架空の(しかしリアリティを持ってイメージできる)空間よりも、むしろ、もっとバーチャルな、言ってしまえば幻想的な光景が広がっているのではないか。
宗達の描く『関谷・澪標図屏風』では源氏物語、というフィクションが題材ではあるが、そこには、空間のタッチがある。
光琳の『燕子花図屏風』では、奥行きがどう、ということを越えて面としてのかきつばたがマボロシの世界へと見る者を誘う。
そんなことをあれこれ考えつつ、イメージマップを走り書きし、重ね書きしながら、インタビュー。
実際に話を聞いてみると、こちらが立てたイメージマップとはまったく違った座標軸が立ち上がってきたりする。
でも、そういうときこそ、楽しいわけで。
琳派。
どんな記事になるか、お楽しみに。
気になる方は、本誌5月号をご覧になってくださいまし。
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